2010年10月15-17日 第5回KKFC 大連ツアー報告(池永さん)

(フリーライターの池永美佐子さんによる、大連視察ツアーレポートです。)

「行ってみて分った」大連ツアー・レポート

梅田センタービル

●ジェットコースターのようなタクシーに乗って

「大連なんか梅田センタービルからハンググライダーで、ひとっ飛びの距離や」
そんな木村会長の言葉に煽られて訪れた大連。直行便なら2時間半のフライトだが、韓国インチョンで乗り継いだため、待ち時間も入れて5時間。ン十年ぶりの海外旅行となった私にとっては、ずいぶん遠くに来た感じがする。

時差を調整して午後1時半、ちょっと怪しげなお兄さんが運転する、砂埃にまみれた年代物のタクシーを拾ってホテルに向かう。しかし、車が発車すると、一転して「エキサイティング大連」の空気に変わった。
広い道路には、おびただしい数のトラックやらタクシーがひしめき合い、車はわれ先に通ろうとと、けたたましいクラッションを鳴らして猛スピードで走り抜ける。ジェットコースターに乗っているみたいにスリル満点だ!! 
「一刻も早くお客を降ろして、何回も走ろうというわけや。それだけ必死で儲けようとしとるんや」と木村会長。

大連ツアーの写真

舗装道路なのに砂埃が舞い上がり、どの車も砂だらけ。それは町の至るところで、ビル建設や高速道路の架設工事が行われている からだ。車が大連駅に近付くにつれて超高層ビルや真新しい巨大マンション群か立ち並び、クレーン車やショベルカーがドラゴンのように雄叫びをあげている。
「でも、マンションの窓には、ぜんぜんカーテンもブラインドもかかってませんね。まだまだ、これからですね♪」。さすが泉さんが、チェックが早い!

大連駅前にそびえ立つラマダホテルに着くと、中心屋の斎藤社長が来て下さった。
3時半ごろから斎藤さんの案内で町を歩く。青泥街と呼ばれる駅前の周辺は、おしゃれなファッションビルや高層オフィスビル、映画館などが林立し、白人の美 人モデルが微笑むブランドの大看板が目につく。一方では、その隙間に雑多な飲食店や露天などが軒を連ね、その合間を縫って人がひしめきあっている。ちなみ に大連市の人口は約600万人。「市といっても、大連市政府。独立した自治体で、まあ国みたいなもんや」と木村会長の解説。

大連ツアーの写真

突然、前を歩いていた絵美子さんがバタッと転んだ。見れば車道と歩道の段差が25センチほどもある上に縁の一部が陥没している。町の中はゴミも多く整備は まだまだで、至るところ危険が潜んでいる。広い道路でも信号機が少なく、猛スピードで走る車やバスは人がいても止まってくれる様子もない。横断するときは 命がけだ。でも、現地の人たちは本当に上手にするりとわたっていく。絵美子さんの傷は、肘を軽く打撲した程度で済んだのが幸いだった。

大連ツアーの写真

ファッションビルの中は、日本のショップと変わらない。中高年はともかく、若い女の子のファッションは、日本との温度差がほとんどなさそうだ。こういうところでは商品の値段も日本と変わらない。一人っ子政策で贅沢な若い子も多く、若いうちから格差が広がっているようだ。
飲食系ではマクドナルドやケンタッキーフライドチキン、スタバの見なれた看板が目につく。斎藤さんの話では、外資系ファーストフードは、ドリンク込で1食 30元前後(500円ぐらい)とやや高め。それでもかっこよさで若者を引き付けるのか、流行っている。そういえば日本も昔、そうだったなぁ…。
街角には若い人向けの写真館が多く、街頭でカメラマンをしたがえてデモでルさながらにポーズする若い女性や、ウエディングドレス姿の新郎新婦たちも多い。一目を憚らず抱き合ったり、いちゃついたりしているカップルを、ちらちら横目で見ながら歩く。

●「中心屋 大連」社長 斎藤忠孝さんの挑戦

大連ツアーの写真

斎藤さんが経営する「中心屋」に向かう。駅から徒歩で20分ほど離れた中山区の閑静な住宅地にある店は、斎藤さんが3年前の2007年6月にオープン。今では人気の日本食居酒屋として繁盛している。

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入店する前に、その道路向かいに現在、建設中の新店舗の工事現場を見せていただく。中層マンションの1階にあるこの店舗は、2カ月後に鉄板焼きの店舗とし てオープンする予定という。65坪で65席。「改装費は420万円です。もろもろの費用を加えても内装費用は800万円ほど」という斎藤さんの話に一同 「安ぅ~!」と驚く。
「1店舗目の真向かいにあることが吉と出るか、凶と出るか。管理上のメリットはありますね。撤退も視野に入れての挑戦です」(斎藤さん)。

店舗設計には、同郷、和歌山の気鋭の若き建築士、橋本さんを起用。彼自身も自らのチャンスにかけて、この仕事に挑んでいるという。

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同じく落ち着いた趣のマンションの1階にあって、和風モダンのエクステリアでまとめた「中心屋」。入口にある『空腹を満たす店よりも、心を満たす店でありたい』と、日本語で書かれた大きな書が目を引く。
店内は80坪80席。暖簾をくぐると、ダウンライトの照明の落ち着いた和風空間が広がる。カウンターと掘コタツ席があり、通路には日本酒のキープボトルがずらりと並ぶ。

斎藤さんは44歳(翌日お誕生日だったので現在は45歳)。高校卒業後、飲食店に勤め、36歳のときに出身地の和歌山市内で居酒屋を独立開業した。現在、大連の店のほか、和歌山では、居酒屋2店舗と寿司店1店舗を展開している。
大連出店のチャンスは「たまたま」だった。斎藤さんの人柄を見込んだ建設会社の社長が、出資するから大連に店を出さないかと打診したのだった。
実は、海外ならハワイかグァムでと夢を描いていた斎藤さんは、中国に対してはあまりいいイメージを持っていなかった。そこで大連に飛び、1年間毎月訪れては飲食店を回り、人に会い、市場をリサーチしながらネットワークを築いた。

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「しかし、訪れるたびに気持ちが後ろ向きになってくんです。こちらにも日本食レストランはあるけど、ちっとも美味しくない。いわゆる、なんちゃって料理ばっかりで」。
でも、あるとき、はたと気付いたという。
「本当の日本の料理はこんなもんちがう。それなら、自分がホスピタリティを含めてほんまの日本を伝えてやろうってね、使命感みたいなものが生まれたんです」
スポンサーの社長に「こっちに永住する覚悟で始めます」と伝えた斎藤さんは、社長を通じてマネジャーの王さん、店長の楠本さんというビジネスパートナーを紹介されて店をスタートさせることになったという。この出会いが、ラッキーだった。

運転資金を含めて用意した資金は2800万円。そのうち900万円を建築費に充てた。スタッフは、アルバイトも含めて30人(現在)。全員、日本語のでき る人を条件に据えた。メニューはすべて店内で一から調理。食材の仕入れは、毎日料理長でもある楠本さんが市場に行って調達する。店は夕方からだが、スタッ フは朝から出勤して下ごしらえにかかる。
出だしは好調だったが、3カ月ほどするとバタッと客足が減った。

1059「大連と日本ではお客様のニーズが違うんです。大連では気にいってもらうと、週に何度も来てくださるから、同じメニューでは飽きられるんですね」。
メニューの見直しを図ると、中国人客が増え始めた。当初1割だった中国人の比率は現在4割になり、さらにその比率は高まっている。
「現在まで売り上げは月々更新している」という。9月度は1日平均売り上げが15万円。前年度比は130数%だ。生ビール250円、焼き鳥1本70~80 円と日本の半値だから、これを日本の市場に換算すれば売り上げは月平均1000万円ほどになる。昨年度の営業利益は28%、税金は8%と安いため(ただ し、外国人企業だともっと高くなる)、純利益は8%にのぼる。

CIMG5444 成功の要因について、斎藤さんは、次のように分析される。
「日本食ブームもありますが、やはり、ほんものの日本式のホスピタリティを伝えたいという思いが従業員に浸透 し、それがお客様に受け入れられたのだと思います。そして、それを可能にしたのがマネジャーである王や店長の楠本との連携であり、信頼関係です。私が王 に、中心屋としての理念やビジョンをしっかり伝え、彼がそれをスタッフに対して伝えています。私は中国語がほとんどできませんが、スタッフ全員、日本語が できるのでまったく問題はありません」
とくに王さんは、横浜の大学で4年学び、日本語が堪能だ。

斎藤さんのビジョンは、高度成長の真っただ中にある中国で本格的にFC展開を図ること。3店舗以降は瀋陽、天津、青島などに出店し、店舗面積に応じた店舗経営をパッケージ化したいともくろむ。そのため中国人向けのホームページの制作も計画している。

店のコンセプトでもある『空腹を満たす店よりも、心を満たす店でありたい』というフレーズは、斎藤さんの人生から生ま れた言葉だ。母子家庭に育った斎藤さんは、リウマチを患う母親や、テンカンで手術を繰り返す姉との暮らしの中で追いつめられ、ボストンバック一つ抱えて家 出したこともあった。そんな葛藤の中で、自分を支えたものはその家族だったと気付き、仕送りを続けた。「この言葉は自分の原点に戻ったときに、いきついた言葉だった」と話す。表玄関の温かく味わいのある文字は、闘病を続けてこられた斎藤さんのお姉様の手によるものだ。

木村会長は、「純利益を出すにはFL(食材原価と人件費)を60%以下にすることや。日本でこの数字を出すのは困難だけど、大連では 50%でいけるはず。ここに可能性が見えるね。また試練は天に通じるもの。言葉を超えた体験こそが、経営の方針を決めるんや。いいねぇ、斎藤さんの生き方 は。だからこそ斎藤さんはほんものの経営者になれるんやねぇ。すばらしい」と絶賛される。

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この席で、斎藤さんより翌日のガイドをしてくださる査(チャ)さんを紹介される。
もともと「中心屋」のお客様でもある査さんは、大連で発行する日本人向け情報誌の営業ウーマンでもあるが、日本に行ったこともないのに日本語がぺらぺら。 いや、ペラペラというよりも、表情もイントネーションも関西人そのもので、細やかな心遣いや優しさは今時の若い日本女性よりも日本的だ。「日本企業に勤めたかったので」というのが日本語を勉強した動機だそうだが、大連には彼女のように日本語を勉強する若者たちが大勢いるという。
彼女の誠実な人柄と、仕事や人生に対する向上心に惚れた木村会長が「今度一度ご招待するから日本に出ておいで」とビッグなプレゼントを!
査さん、感激のあまり涙ぐむ。

CIMG5441この後、斎藤さんの計らいで、大連で働く日本人や、査さんのように日本に興味を抱いている若者たち10人ほどと合流。情報交換会が開かれた。この中には、IT系企業に勤務する人やホームページ制作の会社をしている人のほか、若手起業家も多い。

東京出身の西周さんは、「進化するファッションの中でも頭の上お洒落は、まだまだこれからの市場なので目を付けた」という、大連で帽子店を営む36歳の日 本人起業家だ。人材紹介企業に入って人脈を作り、すでに店舗は3店舗となりこれからも精力的にテナントを増やすという。「大連に骨を埋める覚悟で頑張りま す」と語った。
中心屋はこんな人たちの情報交換の場にもなっていて、日中の関係をつなぐ架け橋の役割も果たしている。日本では尖閣問題で揺れる日中関係を危惧するニュースばかりが伝わるが、民間レベルでのこんな国際交流が生まれている。少なくても大連では!

1066ツアーメンバーの8人に、たまたま大連を訪れていた松山さんも加わって、全員が感想などを述べた後、結びとして、竹内社長が次のような話をされた。
「今日、私も初めて大連を訪れて実感したが、まさに大連は日本が高度成長から成熟期に移行した1970~ 1980年の活況の中にある。そういう意味で、この時代を経験した私たちはいわば未来からやってきているわけで、いろんなノウハウや経験を生かさない手は ない。どうか皆さんも先駆者として勇気を奮って一歩を踏み出してほしい。成功体験は、さらにその先の一歩につながる。もちろん経営も大切だが、個人として も夢に挑戦する人生を送ってほしい」

感動的な一日だった。
こんなに大連で活躍する日本人や、中国の若い友達ができるなんて!
感動冷め止まぬまま、中心屋を後にした。
外気温度はグッと冷え込んでいたが、心はホカホカしている。
ありがとうございました! 斎藤さん、木村会長、竹内社長。そして皆さん。
11時半。ホテルに戻ると、一応お開きということで女性たち部屋に戻ったけど、男性陣たちは査さんの案内で二次会へ。1時ごろまで飲んでいたらしい。
私は部屋に戻ると、バタンキューでした。

二日目 秘密のベールを脱いだ旅順へ

●成長するパワーが充満する街

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2日目は朝、6時にロビーに集合。竹内社長をリーダーとするジョギングコースと、木村会長が率いる散歩コースが待ち受けていた。いずれも自由参加。私はが んばって、散歩コースに。ジョギングコースにはHさんと白木さん、散歩には他に池辺さんと絵美子さんが参加した。松岡さんはすでに単独でジョギングに挑ん でいる模様。

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散歩組は、ホテルから10分ほどのところにある労働公園へ。まだ6時というのに、人が多い。10分ほどで労働公園に到着。奥は標高300mほどの小高い山 になっていて、途中からロープウェーもある。サッサと進む会長とのっぽの池辺さんの後ろを、2人が小走りに追う。頂上まで行かず途中から折り返して園内を 一周。入口では、中高年を中心にたくさんの人たちが太極拳をしている。

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労働公園を出ると、レンガ造りのレトロな大連駅へ向かう。この駅は、日露戦争当時に日本軍が作ったもので東京の上野駅を模したといわれる。周辺にはプレハブ小屋みたいな売店で物を売っている人たちもいて、インテリジェント化するビル群と対照的な光景が混在し独特の雰囲気を醸し出している。
「これこそが成長するパワーや。大阪もちょっと前までは、こんなんやったんや。今みたいに町が成熟してきれいになってしもたら、もうあかん。成長せえへんのや。大連のこの景色、しっかり頭に入れとき」と会長。

ホテルに戻ると、お腹がすいて食が進む。和洋中華のバイキング。ほのかな海鮮味の中華粥が特においしい。

8時20分に集合。査さんがチャーターしてくれたマイクロバスに乗って旅順に向かう。
車窓から結婚式らしい光景にたびたび出会う。査さんによれば、この日は土曜日で吉日らしい。
10月10日は「1年中で最良の結婚式デー」とか。

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40分ぐらいすると、風景が一転、ITやバイオなどの研究所施設が集まった「大連ハイテクゾーン」が見えてくる。道路際には、査さんが以前に勤めていたという「DELL」のビルも見える。

この辺りはアメリカのシリコンバレーや、日本の筑波研究学園都市や関西文化学術研究都市のようなところらしい。大連市がより付加価値の高い産業の育成を 狙って、1980年代末から開設したものだ。日経新聞の記事によれば、ハイテクゾーンには国内外の関連企業2300社が進出。98年からは、さらにその一 角に「ソフトウェアパーク」ができ、企業誘致を促進。ここには内外900社が進出して9万人近い雇用を創出したとある。昨日の中心屋さんでIT系の仕事を する若者が多かったのも、こんな背景があったのだ。

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やがてマイクロバスはいよいよ旅順の旧市街へ。

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旅順は1894年に勃発した日清戦争の主戦場となり、1904年に始まった日露戦争では最大の激戦地となったことで知られている。そして翌1905年から第二次世界大戦終戦の1945年まで、大連と旅順は日本統治下に置かれた。
現在も中国海軍の軍港、基地の町であるため長年外国人の門戸を閉ざしていたが、昨年秋から一部の軍事施設を除いて対外開放された。旅順を訪れる中国人年間 750万人に対して、今年1~7月の半期に訪れた外国人は12万人で、そのうち8割は日本人という。

「水師営会見所」へ向かう。ロシア降伏後、乃木希典将軍とロシアの将軍ステッセルが会見を行った場所だ。屋根の上に草が生えているこの建物は、もともと農 家の家で、戦時中の写真などが展示されている。その中には現地の農民を日本刀で切りつける日本軍兵士たちの写真もあり、日本人として胸が痛む。人の心を狂 気へと変えてしまう戦争とは、なんとむごいことか。

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続いて、先ごろNHKドラマになった司馬遼太郎の「坂の上の雲」の舞台でもある「二百三高地」へ。ここは、標高203メートルの攻防は日露戦争の戦場と なったところだ。遮るものがない高台は戦略上重要な拠点で、この地の獲得を巡って激しい戦闘が続いたといわれる。ちなみに「坂の上の雲」では「ロシアの兵 力4万5千。うち死傷者1万8千。死者2000~3000人。日本軍の兵力10万。死傷者6万212人。死者1万5400余人。つまり、攻撃側であり、ま た勝者であった日本軍に比べて、敗者のロシア軍の被害は極めて少ない」と書かれている。頂上には砲弾型の慰霊塔がある。この戦争で犠牲となったすべての人 々の冥福を祈ってそっと合掌した。
それにしても、一つ疑問が湧く。大連の人にとって日本人は侵略者であるはずなのに、親日的なのはなぜだろう。どうしてこんなに日本語の話せる人がたくさんいるのだろう。

ちなみに、大連に日本語が話せる人材が多い理由について、ウィキペディアでは次のような解説が載っていた。
まず歴史的な背景として1905年から1945年まで日本の植民地として日本語教育が行われていたこと。そして、1863年に当時の周恩来首相の呼びかけ で創立された大連外国語学院が、中国の日本語教育の中心であったこと。さらに、1980年代に始まった改革開放で、大連市に多くの日本の製造企業が進出し たこと。査さんに尋ねてみたら「今は日本企業のおかげで大きな雇用を生んでいる。日本企業に勤めたいと思っている人は多い」という答えが返ってきた。
尖閣列島の問題でこじれる日中関係ばかりが報道される中、民間やビジネスレベルではこんなフレンドリーな関係が続いていることも、しっかり伝えていきたいと思う。

●大きくなった心と小さくなった地球

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再び大連に戻り、査さんの案内で人民広場とロシア風情街を訪れた。ロシア街は帝政ロシアの植民地であった20世紀初頭、官公庁として建設された通りで、風情あふれる洋館が立ち並び、その間をぬってロシアみやげものなどを売る露店や、闇市のような飲食店が立ち並ぶ。

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夕食は、労働公園の前にそびえる、会長おすすめのレストラン「萬賓海鮮舫」で海鮮料理をいただきながら大連最後の夜を満喫した。エビ、カニ、アワビなど海 鮮食材を自分で選んで調理法をオーダーする。大連随一の格式を誇る店というだけあって、店内はヨーロッパの宮殿のようでとにかくゴージャス。さぞかしお値 段も飛びきり! と思いきや、白酒(パイチュウ)も飲んで1人日本円で2000円ちょっとという、信じられないプライス。みんなの懐具合を考えてメニュー を選んでくれた査さんの心遣いに感謝!

宴席ではこの旅行で感じたこと、発見したことなどを一人ずつ発表した。みんな一様に、エキサイティングな大連の街に触れて、何かが動き出したようだ。

泉さん、Hさん、松岡さんは、経営者として早くもビジネスチャンスを察知された模様。池辺さんと竹村さん、絵美子さんのアンテナも感度が増して新しいもの をビンビン受信、海外旅行初体験の白木さんは、すでに第二弾国外脱出を決意している。私も心が大きくなり、地球が小さくなった。木村会長は「この旅行をきっかけに、日本に留まらず視野を世界に広げてどんどんビジネスしてほしいんや」と締め括くられた。

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そして、口ぐちに上る感謝の言葉…。私も木村会長、竹内社長、中心屋の斎藤社長、旅行手配に奔走してくださった松岡さん、査さんはじめ大連のみなさんに、そして、縁あってすばらしい感動を共有した、パワフルで心優しいメンバーのみなさんに、この言葉を捧げたいと思います。

シェシェ、ウオアイニイ!

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涙を流しながら見送ってくれた査(チャ)さん。ほんとうに素敵なツアーをありがとうございました

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