2013年8月 第38回「KKFCやってみよう会」 会合報告

坂元正三さんの報告レポート

 

 1969年(昭和44年)大阪・九条の鉄板加工業「坂元鋼材株式会社」の長男(姉2人)として誕生。紆余曲折を経て28歳の時に三代目社長を継がれた坂元正三さん。リーマンショックの逆境をバネに会社の改革と自分自身の改革に愚直に取り組まれてきたこれまでの半生、そしてこれからのビジョンを熱く語っていただきました。

 

1.幼少期~学生時代

 1969年大阪市西区九条生まれ。家と会社が一緒で幼い頃から職人さんたちの背中を見て育ち「三代目として家業を継がなければならない宿命」を感じながらも、当時は家業を継ぐ気持ちはありませんでした。高校2年生の時、チェルノブイリ原発問題に大きな関心を持ち、以来、新聞記者となって社会問題を追求したいと考え、大学は政治学科に進学。大学卒業後は日本がアジア諸国からどう見られているかを学びたい一心で、中国吉林省長春市に留学します。仲の良い留学生が韓国人、中国人であったことから、将来は北京特派員かソウル特派員になりたいと思っていたそうです。

 

2.憧れの新聞記者から、家業を継ぐことへの決意

 念願のマスコミ業界(時事通信社)に入りました。会社から求められていたことは、「どこよりも早くスクープを上げること」。社会問題を追求していきたい理想と現実とのギャップを感じる日々...。「これが一生やれる仕事なのか?」迷いと焦りが募ります。実家に帰ると両親が一生懸命商売している姿を見てこう思います。「自分が迷い悩んでいることなんて、所詮は自分個人だけのことではないか。親父、本当に申し訳ない。」名古屋に勤務していた28歳の時、父が膵臓がんであることを知ります。自分の好きなようにやらせてくれた優しい父。そして家業を継ぐことを決意します。家業を継いで1年後の1999年。父は坂元さんを呼び、こう伝えました。「ワシが死んだら1億円の生命保険金が入る。このカネで会社の借金を返せよ」。そして父は逝きました。坂元さんは三代目社長として事業を継承。1年生社長としてのスタートを切ります。

 

3.いざなぎ超え景気~多額な設備投資の決断

 社長になって3年が経った2001年、先代の時には売上が上位1~2位だった取引先が相次いで倒産。「会社とはこんなにもあっけなく潰れてしまうものなのか...」債権者会議の場で、倒産した会社社長の姿を見て、「どんなことがあっても会社を潰したらあかん!」と痛感します。翌年の2002年、熟考を重ねた末、5000万円の「プラズマ切断機」を投資したことが成功。いざなぎ超え景気の後押しを受け、投資した機械はフル稼働し、以降6期連続黒字決算となりました。順風が続けば欲も出てきます。「溶断屋にとって夢の機械であるレーザー切断機を投資したい!」隣接地を購入し、新工場建設に踏み切りました。投資額は2億5000万円。「これで親父も少しは安心してくれるはず...」達成感を感じた当時を振り返ります。

 

4.リーマンショックで大赤字!~逆境から学んだこと

 夢のレーザー切断機を購入したその月にリーマンショックが襲いました。入社1年生でいきなり経営者になってから、幾度となく大きな波にぶつかっては社員のみなさんの支えもあり何とか乗り越えて超えてきましたが、今度ばかりは様相が違います。受注は激減、持っていた在庫の相場は暴落し、6期分の黒字は吹っ飛び多額の借金が残りました。

「これまでやってこられたのは父が財産と人財を残してくれていたからこそ。真面目で人の何倍も現場で働いてきた自負はあったが、『経営』はまったくしてこなかった」ことに気づきました。その後、社内改革と自己改革を同時に進めるべく、社外の勉強会に積極的に参加し次のようなことに気づき、学んでいきます。

「PLはかろうじて読めたが、BSとなるとさっぱり分からない」

「ジャングルで木を伐採しているとき、リーダーは高い木に登り、全体を指示しなければなら

ない。みんなで一緒に斧を振るってはダメ」⇒方向性や理念・ビジョンを示してこなかった。

「中長期経営計画を作ろうとするが、いくらの売上計画を立てればよいか分からない」

「家業から企業へ。社長は社長にしかできない仕事をしなければならない」

「会社には経営理念があるように、人生も理念がある。人としてどういうものを大切にして生き、人生を切り拓いていくかを学ばなければならない」

 社内では、朝礼、学習会、週報発刊、給与袋へのメッセージを入れるなど、社員との価値観共有に地道に努めていく中、お客様から「坂元さんの会社変わったね」と言われるようにもなりました。そして「逆境経営セミナー」で木村会長と出会います。これまでさっぱり理解できなかったBSを理解することができ、「1人あたり純資産1000万円を目標とする」物差しを持てたことが大きかった。これまで「小さい会社」ということにコンプレックスがありました。木村会長から「1人あたりに換算する」考え方を学び、「お客様が求めているのは会社の規模ではなく、質である」ことに気づきます。「1人あたり純資産1000万円」を目標に持つことで、今後、リーマンショックのような大事態や災害に襲われ、仮に売上が0になったとしても2年間は社員のみなさんに給料を払うことができ、その間に再生することができる。目標から逆算の考え方を知ることで、これまで悩んできたことが解決できた。「小さな会社でもな、社員と家族を合わせたら50人以上の人がメシを食ってるんや」。かつて父が言った言葉の重みを今実感しています。

 

5.BSビジョン~38年後の82歳。「100年企業」を創る

会社をバスで喩えると、「社長は運転手。後ろには何十人もの社員とその家族が乗っているにも拘わらず無免許で運転していた」とのこと。これまで日々現場の実務だけで経営の勉強をしてこなかった反省から、経営者は経営の運転技術と方向を知るために、木村塾をはじめ自分が良いと思う「教習所」で学び続けなければならないことに気づきました。会社は38年後、坂元さんが82歳になった年に第100期を迎えます。「『100年続く潰れない強くて良い会社を創る』このビジョンを実現するためのロードマップをこれからも描いていきます!」と力強く公言し、逆境への感謝の言葉とともに締め括りました。

 

〔木村会長のフィードバック〕

●1人ひとり自分の人生を一生懸命に生きている。「共に学び、共に成長する」昨日できなかったことが今日できるように。日々成長していくことが大事。自分の人生あきらめたらあかん!

●誰もがミッション(使命)を持ってこの世を生きている。(木村会長の)使命は、起業家を輩出すること。起業家とは、

①   形を変えることができる人(人は誰でも変われる)

②   メシのタネを自分で創ることができる人(変われる人にはチャンスが見える)

●どんな人でも自分のドラマを持っている。人は誰でも変われる。変わるためには「念じるくらいの強い決意」を持つこと。心の中の「もう変われない」と思うもう1人の自分を弾き出せ!

●給料をもらう人と給料を払う人。「払う人」を選択することに苦労が伴うが、これは価値ある苦労。

●坂元さんの「100年企業を創る」ビジョンは素晴らしい。経営者としてこれ以上の勲章はない。

●100億円企業よりも100年企業の方が上。「1人あたり」の物差しを持つことが大事。

●100年企業になるための課題は変化対応力。変化とはチャンス。

●自分(木村会長)の人生は「4勝26敗」この4勝は26個の負けを上回る価値を持っている。あきらめたらアカン。成功するまでやり続けること。

 

幼い頃から祖母に繰り返し聞かされ続けてきた「楽は苦の種、苦は楽の種」と言う言葉を胸に、日々社業に邁進されている坂元さん。最後は奥様への最大級の愛情を伝えられました。誠実さ、優しさにも溢れた素晴らしい報告でした。

 

(まとめ:立道 岳人)

 

 

 

 

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