2013年9月 第39回「KKFCやってみよう会」 会合報告

 

木村塾やってみよう会 2013/9/9  立道岳人さんの「我が人生を語る」

 

 「中小企業のお役にたちたい」―― 経営コンサルタントを起業して6年目になる立道岳人さん(44)。大手都市銀行を経ての転職、独立、そして現在に至るまでの心の変遷、そして将来のビジョンを熱く、率直に語られました。

 

■幼少期~学生時代

1969年(昭和44年)3月、大阪市東成区森之宮に生まれます。幼少期に喘息が出たために両親が空気の良いところを求めて奈良市内へ引っ越し。近くには法隆寺、薬師寺、唐招提寺・・・。それが立道少年の原風景です。

中学生のときに人生最初のピンチ。年上の生徒たちからの「いじめ」に遭います。いま振り返ってみると、数カ月前の木村塾「我が人生を語る」で山出光文さんは幼少期に受けたいじめの体験を「強さに変えた」と発表しました。ところが立道さんは「強さになど変えられなかった」と胸の内を明かします。そんな頃に出会ったのがテニスでした。「自分のすべてかもしれない」と思い込むほど無我夢中に打ち込みます。高校はテニスの有名校に進学し、高1でいきなりレギュラー。将来はプロを夢見ます。ところが出会ったのが一年先輩の松岡修造選手。余りに桁外れなその実力を目の当たりにし、壁の高さを知ります。しかしテニスをやめることはなく、大学はスポーツ推薦で進むほどでした。

この「いじめ」と「テニス」の経験から立道さんは「勝ち負け」に極端にこだわる価値観に染まったと振り返ります。「勝つのがすべて、負けたらおしまい」だと。

 

■バンカーとして(富士銀行時代)

1991年、富士銀行に入行します。思えば「花のバブル組」でした。当時の都市銀行はまるで人気ドラマ「半沢直樹」そのままの世界。巨大組織、そこに従う有象無象のサラリーマンたち。ただ、ドラマのように「倍返しだ!」などと簡単に言える世界ではまったくありませんでしたが・・・。

入行1年生の立道さんが配属されたのは埼玉県草加市の支店でした。そこで「勝たねばならない」価値観が頭をもたげます。組織に従順するのを潔しとせず、上司たちから嫌われ、おかげで担当先を持つのが同期より一年半も遅れます。「こんなに出来ない奴は初めて」との烙印を押されます。勤務中の交通事故が追い打ちをかけました。

転機は3年目でした。とある「叩き上げ」の上司と出会います。叩き上げとは、大学卒ばかりで学歴がモノを言う銀行で、高卒ながら圧倒的な成果で這い上がってきた団塊世代の行員です。この上司が「出来ない」立道さんを鍛えました。「明日からはすべて俺の言うことを聞け!」と、時間と行動を徹底的に管理されます。結果、早くも3カ月後には成果が現れ始めます。そして遂には、バブル入行組(約3000人)の中で全国5位の成績を手にされるほどに。上司との出会いが立道さんを変えたのでした。

次の支店は東京の下町・足立区。そこにも叩き上げの上司がおられました。そして「猫になるな、犬になれ」との営業訓を授けられます。猫はまわりの様子を伺うだけが、犬はたとえ嫌われても主人の足にまとわりついて離れない。最後に可愛がられるのは犬だ、犬になれ、とのこと。立道さんは、この気性の荒い土地で土建屋をターゲットに新規営業をかけます。塩を撒かれ、スリッパが投げられました。それでも「犬」に徹した結果、ひとりの親方に気に入られます。そして親方から次々に紹介を得ることに成功しました。叩き上げの上司がほめてくれたのは言うまでもありません。「『頑張る』は評価しないが『成果』を喜んでくれる上司」だったと振り返ります。

その次の配属先が大阪。東成区今里。やはり中小企業の多い下町です。負けたくない価値観の立道さんは「人が難しいと思うことをやろう」と決心。そんな時、明らかな粉飾決算で融資困難な取引先があり、ここに着目しました。粘り強い行内調整の結果、融資実行に至りました。ところが何と1カ月目に早くも焦げ付き。背筋が凍りついた立道さんでしたが、この支店にも叩き上げの上司がいました。調査に入った本店の検査役に対し、この上司が立道さんをかばい、必死に弁明してくれたのでした。

この3人の上司達から「熱意、誠意の大切さ」を教えられました。おそらく3人は立道さんの必死の姿に若き日の自分たちを重ねたのだと思っています。

このように下町の支店ばかりを経験したことから、立道さんは自然と「中小企業のお役にたちたい」と思うようになります。しかし当時はすでにバブル経済が崩壊し、我が身かわいさの銀行は「貸し渋り」「貸しはがし」に狂奔する時代になっていました。銀行は収益至上主義。儲からない中小企業融資などは切り捨て、大企業志向にシフトしていきます。

中小企業を守りたいとの思い、そして銀行本部から迫られる「回収」の任務。その板挟みに立道さんは苦しみます。銀行の非情さと中小企業の悲哀を目の当たりにする毎日。追加融資を断った先の社長がポツリ「わかった。アンタが言うんやったらエエよ」・・・。身に染みました。

時代は金融再編を加速させます。富士銀行は、第一勧銀、日本興業銀行との3行合併を果たし「みずほ銀行」が誕生します。そんな表向きの華々しさをよそに実態は「お客様そっちのけ」。銀行内では各行出身者の醜い主導権争い。あげく最新のシステムを持っていた富士銀行が、時代遅れだった第一勧銀のそれに統合させられるほどでした。

そんな光景を見て立道さんは悩みます。すでに現場の支店を離れて淀屋橋の本店に勤務していました。大企業志向、収益至上主義のメガバンク。一方で「中小企業のために尽くしたい」との思い。そして立道さんは銀行を去りました。

 

■仏門を叩く

銀行を辞めて驚いたのはまず両親でした。父親は松下電器産業ひとすじの技術者でした。「会社を辞める」そんなこと自体が理解できません。奥様の父上は言いました「富士銀行員だから娘を嫁にやった」と。

最初の転職先は大阪の会計事務所。そこで新たな「発見」がありました。顧問先である中小企業の社長さんに借入金利の高低を指摘したところ、とても喜ばれます。銀行員だった自分には当たり前でも、世間の人は知らないことが多い。借り入れの資料を作ってあげると、すんなりと融資が下り、また喜ばれます。自分の経験が中小企業のお役にたつことを実感しました。「借り手の立場になってみると銀行は遠い存在だった。それを近い存在にしたい」。そう思い、今度はまた会計事務所を辞めます。

「お前は一体何がしたいんだ!」――父親の怒りももっともでしたが、立道さん自身も果たして自分が本当は何をしたいのか、わかりません。答えを求めて様々な体験に飛び込みます。「地獄の特訓」「直観力セミナー」「スピリチュアルセミナー」・・・。しかしどれもピンと来ない。思いめぐらせて奈良の古い街並みを散策していたある日のことでした。写経しに入った小さな寺(南都十輪院)で住職さんから受けた言葉が人生を変えました。

「生きる目的は心を進化させること」

「死んだら何も持っては行けない。死んでも持っていけるのは魂だけ」

「生きている間にどれだけ魂の質を高めることが出来るか」

心が震えた瞬間でした。かえりみると少年期の体験から「勝ち負け」に極端にこだわる自分がいました。そして仏門に入ることを決意し「得度」を受けて出家します。真言宗醍醐派新発意(しんぽち)信岳(しんがく)――それが立道さんの戒名です。

出家を知って驚いたのが、やはり父親でした。松下生粋の技術者であり唯物論者だった父はただ絶句。「ありえない・・・」

 

■独立起業して

出家した立道さんに迷いはありませんでした。人生の目的は魂を磨くこと。使命は中小企業のお役にたつこと。得意分野である金融の知識が活きる経営コンサルタント業をめざし、株式会社「久遠経営」を創業します。久遠とは仏教用語で永遠を意味します。企業は永続せねばならない。中小企業にも永遠を、との思いを込めた社名です。

独立は甘くありませんでした。3カ月は無収入。食わねばならず大手コンサルの下請け業務をするも、何かが違うと感じるばかり。自分の強みを中小企業に活かしたいと念じる日々。その強い思いが人を動かしました。外資系の大手生保・プルデンシャル生命保険のライフプランナー高橋義明氏でした。

同社で行われた立道さんのセミナーを聴いた高橋氏は、中小企業に掛ける「凄いほどの熱意」を感じます。すぐに思いついたのが、ライフプランナーとしての顧客でもある大阪・九条の中小企業「坂元鋼材株式会社」でした(つまり本レポートの執筆者・坂元の会社)。2008年初頭です。高橋氏とともに坂元鋼材を訪れた立道さんは「社長の参謀に」「銀行で培った自らの強みを活かして御社のお役にたちたい」と語られました。実は3人とも同じ1969年生まれ。不思議なご縁も感じ、また何よりもその熱い気持ちにほだされて顧問になっていただきました。のちに聞くと、なんと立道さんにとって坂元鋼材が初めての顧問契約先でした。

そして立道さんは「中小企業の駆け込み寺」との謳い文句通り(同社ホームページより)、数々の中小企業の窮地を救ってこられ、今に至ります。

木村会長との出会いは2年前の「逆境経営セミナー」でした。講演が終わると木村会長が立道さんに近づいて来られます。「アンタは初めてやなー」となんと木村会長の方から名刺交換の持ちかけです。その飾らない人柄に感動しました。「こんな人になりたい!」。2カ月後、また会長のセミナーに参加しました。終わると会長が「アンタは初めてやなー」と、また名刺交換・・・(会場爆笑)。その数カ月後のセミナーでも名刺交換。だから木村会長の名刺は3枚持っています。

 

■人間万事塞翁が馬

木村会長の言葉は立道さんのハラに響きました。いつ聴いても、何度聴いても、その時々の自分の状態によって「入り方が違う」。会長から学んだことの一つが「心のブレーキ外し方」。自分には無理じゃないか、と自分にささやくもう一人の自分がいる。そんな時はビジョンに本気になること。「その人のビジョンがイメージに入っていれば本気になれる」。銀行出身で金融に強い立道さんは木村会長から見込まれます。会長の企業視察にも同行し、会長への傾倒を深めます。「与えられた逆境よりも、自ら作る逆境」「10年ビジョンを高く掲げよ」。会長の言葉の数々を胸に、中小企業の現場を渡り歩きます。

仏門を叩き、そして独立し、木村塾などさまざまな学びとの出会い。いま立道さんは「心のトゲが取れた」と述懐します。過去の体験が自分の可能性を制限していました。人の目が過度に気にかかる。負けたらおしまい。負けたら相手にされない。そんな固定観念にようやく終止符を打てました。辛かった過去にフタをしてきたけれども、いまはこうして人前で過去を開示できるようになったのです。

最近うれしかったのが父親とのこと。72歳になる父親は入退院を繰り返していますが、いまは「わしがお前の一番の応援団や」と立道さんの生きざまを認めてくれます。そんな両親を物心両面で豊かにさせたい。それも大きなビジョンです。

最後は「10年後の私からの手紙」で締めくくりました。

「10年後の2023年、中小企業応援のための『久遠パワーパートナーズ・ファンド』を資本金5千万円で組織する」「ビジョン・目標達成に必要なことは貢献の心と実践」「どうしたら人に喜ばれるか、相手の立場に立って考える習慣を持つ」「他人の幸せの中に自分の幸せを見出していく」「自分の健康、そして両親と家族。ともに働く人たちを大切に」「良好な人間関係は『勝ち/勝ち(win/win)』です」「過去の失敗や自分にはどうすることもできない変えられないことに否定的な感情を使うのは一切やめ」「10年後の輝かしい未来を信じ『日々の実践に誠実に生きる!』」「心の扉を開け!」

さまざまな葛藤を乗り越え、澄み切った心境に至りました。仏門と金融・経営。精神世界と現実世界。形而上と形而下。それらが混然一体となった魂の報告でした。

 

〔木村会長のフィードバック〕

ž   わしもニューヨーク大菩薩禅堂金剛寺(臨済宗妙心寺派)で受戒接心したが「得度」には至っていない。立道さんの方がひとつ上や。稲盛和夫さんは?「稲盛さんは僧籍をお持ちです」(立道さん)。そうか、稲盛さんは僧籍までお持ちなのか・・・。

ž   NY金剛寺の嶋野栄道老師は苦労してアメリカで仏教を広められた。間違いなく「起業家」と言える。

ž   わしはいじめられた記憶がない。小さいころに「チョーセン」とからかわれたこともあったが、何回も家を引越しし過ぎたからか。常に一人で生きてきた。誰かと一緒になどと、考えたことがなかった。

ž   流行のドラマ「半沢直樹」は組織で生きる人々を活写している。ハコの中の人々。わしにはその「ハコ」の経験がない。さっぱりわからん。自分で生きるしかなかった。

ž   そもそも履歴書を書いたことがない。

ž   わしがもし「ハコ」の世界に入ったらどうなるやろか?1日、いや2時間もおれんやろ。

ž   世の中にはハコの中で才能を発揮する人、ハコの外で才能を発揮する人がいる。

ž   「2023年のビジョンをもう少し具体的に」と木村会長が立道さんにリクエスト。その回答――「10年後、私が経営参謀を務める会社が150社になっている。そのうちの100社に万一何かがあったとしても『つなぎ融資』が出来るだけのファンドを持つ。その金額は10億円(1社当たり1000万円)。私は中小企業の防波堤になりたい。そのためのファンドであり、投資家を集めて必ず実現する」と言明。

ž   よくわかった。しかしそんなファンドが全国にどれくらいあるか?ほとんどない。聞いたこともない。これは「メシの種を作る」「カタチを変える」ということや。面白い。まったく新しいものや。立道さんはアントレプレナー(起業家)や。

ž   本当の起業家は、起業しても「社長」にはならん。「起業家」「創業者」「社長」「プレジデント」みな違う。その違いがだんだんと見えてきた。

ž   渋沢栄一の「論語と算盤」。人は数字だけではついて来ん。理論だけでもついて来ん。両方いる。

ž   ワタミの渡辺社長は起業のために宅急便で働いて1年で300万円貯めた。3時間睡眠やった。これが起業のもとになった。

ž   ビジョンが大切。わしの夢は何よりも「家族にメシを食わすこと」やった。

ž   最初の目標は2万円を貯めること。1カ月は食っていけるから。その次は10万円。5カ月食っていける。わしの若いころは日当が500円で銭湯は15円やった。だからフロに入らず水道で体を洗った。

ž   バブル崩壊後にBS目標を決めた。1億円(自己資本)を貯めるのに40年かかった(58歳)。それが20億円になったのが67歳。

ž   ビジョンは自分との闘い。みんな自分で自分を抑えとる。まず10倍、そしてその10倍にせえ。

ž   孫(正義)さんには始めからバリアがない。

ž   人との闘いではない。自分との闘いや。人は自分で自分に壁を作っとる。

ž   ビジョンが問うてくる。「そのやり方で出来るんか?」と。

ž   みんな若い。何回でもできる。失敗はつきもん。

ž   大きなビジョンを持て。それが逆境を作る。

ž   だーれも制限なんかしとらん。制限するもの、それは世間の「常識」。

ž   立道さんは必ずやるでしょう。

ž   今日の話を聞いて、みなさんも自分に何かあったら「立道さんに相談してみよう」という気になったでしょ。それが素晴らしい。

 

(まとめ 坂元正三)

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