2013年10月 第40回「KKFCやってみよう会」 会合報告

木村塾やってみよう会 2013/10/21 濱田恵司さんの「我が人生を語る」レポート

 

 「幸せ度地域No.1の企業を目指して」―― 有限会社サードパーティー社長、濱田恵司さん(44)。厳しいサラリーマン時代を経ての独立。最初は自分がメシを食うために始めた会社でした。紆余曲折を経て、「幸せ度一番」を会社の理念に掲げるまでに至ったこれまでの半生、そして将来の夢・ビジョンを熱く、楽しく、そしてストレートに語られました。

 

1.幼少期~学生時代

1969年(昭和44年)9月、大阪市に生まれます。実家が飲食店(メシ屋)を営んでいました。幼稚園までは奈良の祖母の家で育ちます。小学校から高校まで一貫教育の「大阪市立の学校」に入学しました。「悪さばかりして親を困らせていた」と振り返る小学生時代でしたが、濱田少年には大きな夢がありました。それは、「社長になること」。小学校の卒業アルバムには、こう書いていました。「オレはレストラン王になる」。

中学校に進学すると陸上部に入部。3年生で主将を務める傍ら、大阪市の代表選手にも選ばれました。高校に進学してからも陸上を続けましたが、クラブ活動よりオートバイと遊びに夢中になりました。「チャラけた根性のない普通の学生生活だった」。

当時を振り返ります。

 

2.サラリーマン時代 ~奥さんとの出会い~

高校卒業後は西宮市の酒造メーカーに就職します。住まいは酒造メーカーの独身寮です。酒造メーカーの社員が集まる独身寮の夜は毎日が宴会。おかげで20才で肝臓を悪くしました。濱田さんが入社した年に運命の女性(奥さん)と出会います。第一印象は、「なんてやかましい人なんやろ」。活発さゆえ働きっぷりは見事でした。とにかくよく働く姿はまさに現代版おしん。そんな健気な彼女の姿を見てこう思います。「こんな働き者の女性はオレが結婚して楽をさせてやらなあかん!」。一途な想いは、阪神大震災から丁度1年後に成就しました。

仕事をしながら無我夢中になったのはカーレース。年間(12戦)の大会に出場し4位にまでなり、将来はプロのカーレーサーを夢見ますがそう簡単にはいきません。大会に出場するためにはお金がいります。(1レース出場で25万円)カーレースに出場するお金を稼ぐために、副業でアルバイトをしましたが思うように稼げない。「もっとお金を稼ぎたい」。今の仕事へのやりがいも感じなくなったこともあり、5年勤めた酒造メーカーを退職します。

将来はカーレーサーとしてメシを食べていく夢を追いかけたい。カーレースに出場し続けるためにはお金が必要。儲かりそうな仕事を探す日々が続く中、当時給料が高いことで知られていた佐川急便に転職します。「地獄の佐川」と呼ばれる会社は、職場というより道場。勤務時間中に流れる音楽は軍歌でした。周りは破天荒な個性派集団。そんな厳しい環境に濱田さんは自然と馴染んでいきました。そして入社3年目には優秀社員に選ばれるほどに。「これで大会に出場できる、カーレーサーになるんだ」。夢が現実へ向かう手応えを感じました。

 

3.阪神淡路大震災

佐川急便の仕事も軌道になった頃、未曾有の大災難に見舞われました。1995年1月16日の阪神淡路大震災です。住んでいた木造のアパートは崩壊。変わり果てた街並みにただ呆然とする日々。カーレーサーの夢も断たれました。住む家がなくなり、友人知人を頼りに居候生活も経験しました。自ら救援物資を運び、復興に対する商売人の意気込みを肌で感じることができました。貴重な体験です。その後、奥さんとは、お義父さまが住む家の隣のアパートで同棲生活を始めましたが、いつまでもお義父さまの家の隣で同棲生活を続けるわけにはいきません。震災の翌年1996年1月16日、晴れて奥さまと入籍します。

佐川急便で優秀社員になりアメリカ研修に参加した頃、同僚の仲間に誘われたサーフィンに魅了されました。映画(エンドレスサマー)の影響も受け、自由を求めます。「好きな時にいつでもサーフィンができるライフスタイルを手に入れたい」。そんな想いが募りました。その頃、佐川急便の仕事は順調でしたが、「サラリーマンはどれだけ頑張っても給料に天井がある」と感じるようになります。また、カーレーサーの夢が断たれたことへの空虚感も重なり、10年間勤めた佐川急便を退職しました。

 

4.独立起業して ~失敗経験~

佐川急便を退職後、最初に始めたのは「車の販売代理店」でした。そこで詐欺師の巧みな仕組みに引っ掛かりました。500万円の損失です。佐川急便で貯めた貯金は底をつきました。その後、実家の飲食店を手伝い「繁盛飲食店」を試みましたが、料理人としての道は険しく結果はでませんでした。「このままではメシが食えなくなる...」。

次に始めたのは「物流コンサルタント」。小さな部屋を借り、運送のお手伝いをさせてもらいたい一心で電話営業を試みる中、「信用」の壁にぶつかります。「信用ををつけるには法人にしなければならない」。当時、お金はなかったので、中古のミニバイクと中古のノートパソコンを現物出資して資本金3万円で、有限会社「サードパーティー」を創業します。

法人化して最初の売上が3,600円。月商2,000万円となった今でも忘れることはありません。3,600円の売上をいただいたお客様とは今でも取引が続いています。

商売をしていると偶然儲かる時もありました。儲かった時に考えたことは「これでビルを立てれる!」今、思えば大きな勘違いでした。

商売が少し軌道に乗りかけた頃、「儲け欲」が頭を擡げます。「北海道メロンの販売」を思いつきました。北海道で高級メロンを安く仕入れて、大阪で高く売って儲けよう」。現地(北海道)の仕入先を苦労して探し、大阪の商店街の空き店舗を見つけました。スタートは大阪旭区の千林商店街。仕入れたメロンを台車に積んでいざ販売開始!

隣の八百屋を除くと、「北海道メロンが980円!」と安価で売り出されています。目を疑いました。「5,000円で売るつもりだったのに...」。結局、メロンはあまり売れず、3ヶ月で300万円の損失を出しました。以来、本業の物流1本で商売していくことを誓います。

本業の物流で売上が順調に進んでいたある日のことでした。地方の大口取引先から売掛金の入金がありません。結局、回収不能となりました。1,500万円の不良債権を抱えることとなり、窮地に立たされます。何とか取引銀行からの融資支援を受け凌ぎました。

 

5.理念、ビジョンとの出会い

 サードパーティーは、「自分がメシを食うため」に創業した会社。人材育成を考えてきませんでした。毎年1回、社員が入れ替わる状態が続きます。それでも業績は上がりました。昨年、とある理念経営塾を知ります。そこで気づいたことは「オレのような社長に自分の人生を預けることなんてできない」。経営理念と人材育成が大事であることに気づきます。

 そして今年。木村会長との出会いがありました。木村会長が書かれた1冊の本「BS経営」を読んだことがきっかけで、「木村塾」に参加します。木村会長の言葉は心に響きました。会長から学んだことの一つが「未見の我」。「私もあなたも知らない自分を知ること、この先想い描くことが大事」。その後、会長への傾倒を深めます。先日、会長の会社訪問があり、自社(サードパーティー)の決算書を見ていただきました。「なんも考えてへん数字やな」。これまで不良債権の返済や、メロン事業の失敗もあり9年間で180万円程度の内部留保でした。「今まで決算前に無駄な出費の繰り返してきたダメな会社だった...」と振り返ります。

 

6.BSビジョン ~サードパーティーの未来像と夢~

 サードパーティーの10年後は「10000、1000、100、10、1」。

「10000坪の物流センター」「月間1000社との取引」「取引先のうち100社は海外」「10人の分身創り」「幸せ度地域1番」。大きなビジョンです。土台となる経営理念の核は「幸せ度一番」。これまで疾風の如く走り抜けてきた人生には、いつも自分の人生をより良くしたい想いがありました。さまざまな失敗体験や葛藤を乗り越えた今、「縁ある人(みんな)の幸せを願う人生」へと変化したことが「経営理念」そして「人生理念」を創りました。

最後は「50歳の自分からの手紙」で締めくくりました。18歳の時から濱田さんと共に人生を走ってきた奥さんはこう言います。「あんたと結婚して良かったと言ってくれて嬉しかった。これからもそう言ってもらえる女性になりたい」。どこまでも濱田さんの「自由を手に入れたい人生」を応援し続ける奥さんの優しさも垣間見れた素晴らしい報告でした。

 

〔木村会長のフィードバック〕

・日創研の可能思考研修で「10年後のありたい姿〕を10ヶ条書いた。今、書いたことがその通りになっている。50歳半ばに「我が経営を語る」というテーマをもらって、

「なぜ経営するように至ったか」という話をした。つまり、我が人生を語ったんや。それが非常にうけたことがきっかけで今日につながっている。もう1000回になった。こうやって自分で自分のことを皆の前で話してきたことが今に繋がっていると思う。

・みなさんは目標を年初に立ててますか?

 目標だけを積み上げていくのはあまり意味がない。目標の向こう側にビジョンがある。ビジョンに基づいて今年は何をやるか決めることが大事や。ワシは、心(成長)・技(ビジネス)・体(体力)の目標と結果を数字にしてみなさんに見てもらえるようにしとる。

・ずっとやり続けてわかったことがある。「本物は続く」という言葉があるがワシは本物というのがわからん。続けとったら本物になる。続けていくと信念の強さがでてくる。支えてるのは、自分の人生どうしたいかというビジョン。

・今日、福岡と名古屋の優良老人ホームを見て回った。ワシは生涯青春をやっとる。あの中に入ったら、青春やないと思った。青春というのは自分がやる夢を追っかけとる状態やとワシは定義している。そういう人生を送れたら幸せやなぁと思う。

・濱田さんは楽しむことが上手や。これまではその時その時を目一杯生きてきたことは良かったことや。でもこれからは10年先、20年先を目指していかなあかん。

・ワシは起業家。新しいメシの種を創ってカタチにすることが好きや。そのために運動してて、色々見て回って、本も見とる。それが好きなんや。だからワシは海を見てもサーフィンしたいと思わん、山を見てもあの山登りたいとも思わん。生涯現役、生涯チャレンジャーでおりたい。そういう生き方がワシを支えとる。

・ワシの時間の使い方は凄まじい。1分ともムダにせん。ここに来るために途中の話も切り上げてくる。なんでそうするかは、ビジョンがあるからや。人生理念がワシを支えとる。今日の話の中からみなさんも学んでいって欲しい。

・「未見の我」がある。私もあなたも知らない自分を開発することや。これは努力せなでけへん。自分の中の引き出しを引くことやないかと思っとる。理屈も年齢も関係ない。ワシは死ぬまで能力を開発したい。死ぬまで成長したい。それが本当の幸せや。共に学び共に成長していくことが大事。

(まとめ:立道 岳人)

カテゴリー: KKFC会   パーマリンク

コメントは受け付けていません。

  • 2016年の予定

    01/12(火)
    01/26(火)
    02/02(火)
    02/23(火)
    03/08(火)
    03/22(火)

    04/12(火)
    04/26(火)
    05/24(火)
    06/14(火)
    06/28(火)

    07/12(火)
    07/26(火)
    08/09(火)
    08/30(火)
    09/13(火)
    09/27(火)

    10/11(火)
    10/25(火)
    11/08(火)
    11/22(火)
    12/20(火)

    すべて、18:30~20:30
    マジックバー手品家梅田店です!
     
    ☆★ 六甲山全山縦走 ★☆
    2016年12月4日(日)
     
  • 過去ログ