2013年6月 第36回「KKFCやってみよう会」 会合報告

我妻昌章さんの報告レポート

 東京出身で大学から大阪に来られた我妻昌章さん(37歳)。これまで4社を起業し、現在は人材派遣とコンサルタントの会社を2社経営しています。木村塾での存在感も大きい我妻さん。波乱万丈の半生、そしてこれからのビジョンを縦横に語っていただきました。

〔幼少期~学生時代〕
 1975年東京中野区生まれ。中学から私立で「いいところ」の子たちばかりに囲まれ、のびのびとした学生時代を謳歌しました。しかし男子校で男ばかりだったため、女性が苦手になったとか?
 家庭はしつけに厳しく、旧日債銀マンの父親はまるで星飛雄馬の父・一徹のよう。親の言うことを聞かないと本当に110番通報されて警察がくるほど。家庭内に罰金制度もありました。
 大学から東京を離れて大阪に(関西大学)。応援歌を歌うバンカラな寮生活。そして授業料と生活費のためにバイトに明け暮れます。一方、父親の命令で税理士を目指し、ダブルスクールの日々でした。

〔社会人に、そして脱サラ起業〕
 しかし、父親の会社(日債銀)が破たん。税理士を目指していたはずの我妻さんは父親の命令で就職活動することになり、事務機器大手のリコーに入社します。
社会人1年生でしたが同時に副業(ネットワーク・ビジネス)にも手を出すなど、型破りな生き方は当初からうかがえます(ネットワーク自体は儲からなかったとか)。
リコーでは営業で頭角を現しました。いきなり同期150人中トップの成績。それなのに我妻さんは「決められたマニュアルに従ってコピー機やパソコンを売るだけの仕事。型にはまり面白みがない」と、わずか1年少々で転職し、従業員10名規模の会社に再就職。いろいろな部署を精力的に立ち上げます。しかし自分の力を試したく2年後に脱サラ、そして起業します。
初めて起業したのは27歳(2003年)、資本金50万円でした。しかし売上ゼロが半年間続くなど苦戦します。子供が生まれてからはギャンブル(競馬)で生計を立てることもあったとか。そして31歳(2006年)、資本金100万円で新会社を作ります。しかしテンション高く猛烈に働いた余り、過労で倒れて一時は目が見えなくなるほどに。さらに人間関係でもトラブルが続きます。信頼していた社員に横領され、被害額は1000万円にも。大学卒業後すぐに結婚した奥さんとの間には男の子が1人生まれましたが、これまでに4度の離婚危機に瀕しました。離婚届を家庭内に掲示していたほどでした。

〔そして35歳で転機が〕
我妻さんは過去をこう振り返ります。「20代はとにかく『オレがオレが』で怖いものなし。喧嘩っ早く、道で肩が触れたら即ケンカ。他人とは『売り上げになるかどうか』で付き合うかどうかを決めた」と述懐します。30-35歳は「被害者時代」と命名。「頑張っている自分がなぜ認められないのか」と焦りが募ります。
ところが35歳のとき。ある出会いが我妻さんを変えることに。「人を本気で純粋にサポートしている」保険の営業マンに出会います。我妻さんはその方から「絶妙なタイミング」で、いろんな人たち、様々なセミナーを紹介されます。そこで素晴らしいメンターの先生方に出会い、それが我妻さんを変えました。木村会長にもその時代に出会っています。
「それまでは『人にどう見られたいか?人にどう見せたいか?』と人の目ばかりを気にしていたけれど、それからは『自分はどうしたいか?』に変わった」と振り返ります。
子供が生まれ、社員という仲間が出来て、責任感を学びました。いま大事にしている考え方は「何事も冷静に判断できる状態を保つこと」。そして経営者としての責任を痛感します。「社員の横領事件の原因は自分の甘さだった。どんな事態が起きても最後は経営者が責任を取らねばならない。社員も人間。信頼しても、信用し過ぎてはいけない」。このごろは、社長である我妻さんの健康を心から心配してくれる社員さんの優しさをひしひしと感じます。
そして一日の時間管理も、優先順位が変わりました。寸暇を惜しんで家族との時間を最優先。そして睡眠時間を確保。心の健康が大事だと、今はしみじみ思います。

〔将来のビジョン〕
 現在37歳。「自分の残りの時間を考えて、共に成長していける人と時間を共有したい」とミッションを次のように語ります。

[目 標] 年商1億円。スタッフ100人と関係者で運動会を開催する。
[40-45歳] 500名の登録スタッフ。
[45-50歳] 海外展開を含めた人的コンサルタントの拡張。
[50歳~ ] 村長になる。

 この村長とはなにか?いまの日本の若者には、実は新しく農業、漁業をしたい若い子たちがいる。しかしいきなり田舎に行っても村八分にされたりするので、なかなか一歩が踏み出せない。それならば廃村を買って、そこで若者が農業や漁業をすればいい。若者だけではない。そこで施設を作って老人介護の仕事をしてもいい。若者も老人も、人々がともに過ごせる場所をイチから作る。それが日本を変えることになる。そんなコミュニティを創り、村長になるのが50歳のミッションと言います。
また本業の人材派遣業では、お客様のきめ細かい要求に合った人材を集め、最適なマッチングを追求すること。それが理想です。
 現在の心境としては「自分も他人も誉めてあげられるようになった。すべては捉え方次第。そこから運命が決まる」とのこと。
 「そこまで働くエネルギーの源は?」との問いには、「社内外の方たち、とくに成功されている何人もの人たちから『もっとリーダーになってほしい』と期待されること」と回答。周囲からの期待感をモチベーションに変えています。
 いまは自分の残り時間を常に意識し「15分=一日の1%。15分単位で物を考え、リセットしたりすることが大事」と、タイムマネジメントに余念がない。読書の習慣も半端でなく、かつては「月に30-40冊」も読破していたとか。
 いまの自分自身の理念は「社員は家族。社員もスタッフも同じ気持ちで大切にする。仕事を一緒にする仲間だから」と力強く締めくくりました。

〔木村会長のフィードバック〕
・ (木村会長は)50歳で我が人生を語った。そこから人生が変わってきた。どうやってメシを食うか、それだけを考えてきた。人にこう見られたい、と人の目を気にしたことなど一切なかった。そんなことを考えて生きたことがない。
・ 振り返れば貧乏な生活の中、子供の頃から豚を飼い、ものを売り、生きる術を学んだ。親からは魚を与えられたのではない。「釣り方」を教えられた。
・ 我妻さんは起業家なんや。カタチを変えれる人なんや。
・ 「村長になる」というミッションがいい。日本の田舎を何とかせなアカン。
・ 例えば香港。700万の人口に対しメイドが35万人いる(フィリピン、インドネシアなどから)。その人々が巨大なコミュニティを形成し、社会に活力を生んでいる。メイドの存在により、香港人女性の社会進出が可能になっている。日本も1000万人規模で移民を受け入れ、変わっていってほしい。
・ 我妻さんの、海外を視野に入れた人材派遣業には未来がある。広い視野、大きな考えでやってほしい。
・ 自分は生涯チャレンジャー。面白い人生を送りたい。自分の人生は自分で作る。
・ 我妻さんが村長になったら、自分が村民になる。

破天荒な20代、そして30代半ばでの心境の変化、そして将来のビジョンとミッションまで語り尽くしてくれた我妻さん。若き起業家のパワーあふれる報告でした。

(まとめ 坂元正三)

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