2013年11月 第41回「KKFCやってみよう会」 会合報告

木村塾やってみよう会(2013/11/18) 松木克浩さんの「我が人生を語る」レポート

 

 今年最後の「木村塾やってみよう会」。大トリは、有限会社エム・カンパニー創業社長の松木克浩さん(43)に務めていただきました。会社は、食肉原料や加工品の輸送を主として、近畿一円に運送事業を展開し、昨年、創業20周年を迎えました。

「幸せを届けることに命を賭けたい」。―― 会社を創業するまでの歩み、創業から今日まで、「ゼロからの挑戦」の日々。苦悩と学びの半生、そして将来のビジョンをいっぱいの笑顔で、パワー全開に語られました。

 

1.会社創業までの歩み(幼少期~社会人)

松木さんは、幼少期からお金を貯めるのが大好きでした。お年玉はもちろん貯金。1982年500円硬貨が発行されてからは、自分で作った小さな貯金箱にチャリンチャリンと硬貨を貯めていくのが楽しみでした。またスポーツが大好きで活発な松木少年はクラスでも人気者。中学高校では理数系が得意でした。文系は苦手で読書が大嫌い。中学校から、サッカー部に所属し、高校はサッカーの名門、私立初芝高校に入学。レベルが高く、付いていくことに必死で、無理が重なったせいで身体を壊し、挫折してしまいます。その後は、バイクを買うためにアルバイトを始めます。酒屋、コンビニ...。春休みと夏休みには日当稼ぎのバイトに明け暮れる毎日でした。高校2年生の時にアルバイトした喫茶店のオーナーに気に入らたことが1つの転機となります。喫茶店のオーナーへの憧れは日増しに強くなりました。「こんな人になりたい!」。将来は社長になるという目標を胸に高校卒業しました。高校卒業後は、運送会社に就職。配属は営業職です。学生時代の交通違反が原因で、入社早々、警察に出頭(免停180日)する事態に...。営業の仕事は、車を使うため、免停では運転できません。このことが原因で入社2ヶ月後に退社。しかし車のローンは残りました。「何とかせなあかん!」。その後は派遣社員として一生懸命働きました。車のローンを返済するため、お金を貯めるために残業も積極的にしました。「社長になる夢」は諦めません。

時代はバブル期に。当時勤務していた不動産会社の先輩が独立し、誘われることになり、転職しますが、こき使われる毎日です。仕事というよりは私事でした。給与もまともにもらえない苦しい日々...。「不動産ならお金を稼げる!」淡い期待は、脆くも崩れ去りました。本当に苦しかったこの時期に、今の奥様と出会います。

その後、訪問販売の仕事に就きました。入社して2~3ヶ月したある日のこと。大手丸大食品の食肉事業部立ち上げメンバーだったお父さまの知人から、「代行運転で食肉を輸送をしてくれないか」。と依頼を受けます。輸入肉の解禁に伴い、同社の業績は好調。「これで社長になれるぞ!」松木さんは、友人1人を誘い、この仕事を請け負うことになります。21才。エム・カンパニー創業の瞬間でした。

 

現在のエム・カンパニー本社は西日本有数の物流拠点、大阪・南港。先月は社内で恒例となっている「エム・カン秋祭り」を開催しました。雨でしたが集まった方々は100人以上。大盛況でした。社内恒例行事の「祭り」は年3回開催されます。春祭り、夏祭り、秋祭り。今では、日頃の感謝の気持ちを込めて社員の家族を招く一大イベントとなっています。

『「幸せを届ける」ことに命を賭けている』。松木さんは言います。社名の「エム」は「松木のエム」、「カンパニー」は「仲間(ファミリー)」。仲間を創りたい想いからこの社名にしました。今年22年目を迎え、1992年の創業当時を振り返ります。

 

 

2.ゼロからの出発 ~創業当時の苦悩~

「お金もコネも経営知識も一切ない、あったのは元気だけ」。松木さんの「元気」が丸大食品食肉事業部の責任者に評価されました。同社の拡大路線に合わせて、松木さんも人を増やしていきます。求人には困りませんでした。弟さん(現専務)が次から次へと人を引っ張ってきてくれたからです。人員が7~8人になった頃、自分の商売が儲かっていないことに気づきます。「これじゃあかん!」儲けるためにどうすればいいのか...。トラックを買いたいけどお金がない。ローンは組めない。新車は到底買えないので、中古車(8~10年落ち)を探して買いました。何とかトラックを増やすことができましたが、今度は「運送免許」の壁にぶち当たります。「運送免許」がないと、増やしたトラックを活かすことができません。当時、業界の規制緩和で「認可制」から「許可制」に変わったことから、条件を満たせば運送免許が取れることを知ります。許可条件の1つが、新車台数でした。新車を買うことができない松木さんは、知人から少しの間、新車を借りてナンバープレートをつけさせてもらい、台数条件をクリアします。資本金を満たすことも条件の1つでした。東京の親戚の叔母さまを訪ね、600万円を借り、増資により許可条件をクリア。叔母さまから借りたお金は半年後に返済することができました。今でもこの恩情は忘れません。

「運送免許」が取れたからといって、仕事が増えるわけではありません。顧客獲得のため営業活動に勤しむ日々。「もっと仕事を増やすためにお客様とお付き合いの接点を持とう」。お付き合いは、松木さんの地元・堺から始まります。思えばこれが「悪の道(私利私欲)の入り口だった」。当時を振り返ります。気づけば堺からミナミへ、そして北新地へ。夜のステージはドンドン上がっていきました。

売上が増えると付き合いも増えていきます。当時一番苦労したのが「資金繰り」。毎月末は子供の積立預金を崩したり、トラックを買うためのお金を使うなどして支払いに当てました。それでも足りなくて、支払先にも頭を下げることもありました。「これだけ頑張っているのに、利益が上がらない...」。悩みは尽きません。苦労の連続の最中、幼馴染みの友人から「経営の勉強をしないか?」と誘いがありました。このことが、後の松木さんの心の変遷つながる大きなきっかけとなります。

3.真の経営者として ~学びと実践、最大の気づき~

「経営の勉強をしないか?」幼馴染みからの誘いに対して、素直な松木さんは、すぐに飛びつき、研修(日創研)に参加しました。この学びで気づいたことは、「小さな成功の上で胡坐をかいて満足している自分の存在」でした。そんな自分を支えてくれる家族と社員の顔が浮かび、涙が止まりません。家に帰り奥さんに心から謝りました。松木さんが本当に求めていたものは「幸せ」でした。「家族や社員の笑顔が溢れる状態が僕にとっての幸せなんや」。当時の心境を述懐します。この想いは今も変わることはありません。心のスイッチが入った松木さん。「呑み屋のステージを上げる前に、仕事のステージを上げて、家族と社員を幸せにせなあかん!」と、心に誓いました。

学んでも人は会社を辞めて行く...。コミュニケーションの場を作っても人は辞めていく...。「頭でっかち」になった自分に気づきました。知識と行動が伴っていなかったのです。「社員や周りの人に求めてばかりだった」当時を振り返ります。

そして、予期せぬ最大の事件が起こりました。

某外食チェーンが関西に進出する話が舞い込んできました。「エム・カンパニーをメジャーにできる!」。まさに社運をかけた仕事でした。仕事も順調に進み、採算が取れるようになった頃、納品先のお客様から、1本の電話。「レジからお金がなくなった...」。その後の調査で、会社に否があることが判ります。問題が発覚した時、松木さんは研修で東京に出張中でした。事態を知った松木さんは、慌てて大阪に戻ります。帰路の新幹線の車中では頭が真っ白でした。「社運が賭かってるのに...」。

創業メンバー(白川さん)から電話がありました。白川さんは当時、中間管理職の立場で壁にぶつかり退職を考えていました。「辞めるのを撤回する。悔しい、もう一度ゼロから挑戦しましょう!」思えば、白川さんの心が決まった瞬間でもありました。「これまで支えてくれた社長に、今こそ恩を返す時」。松木さんの涙は止まりません。その日、東京からの帰りを待ってくれていた創業メンバーと夜明けまで話をしました。この事件の顛末は、お客様が新たな運送会社を見つけるまで、最後まで誠意を持って対応することで解決します。

「自分1人ではない。みんながいてくれている」。そして、これまでの経営者人生で最大の気づきに出会います。最大の気づきは、「人材育成の大切さ」。しかし、そのためには「まず自分自身が成長せなあかん。最も大事なのは社長の姿勢や」。いつの間にか家族や社員に依存していた自分を反省しました。松木さんはこう言います。「社長が変わると社風が変わる」「社風が変わると社員が変わる」「社員が変わるとお客様が変わる」「お客様が変わると業績が変わる」。そして、「業績が変わるとまた社長が変わる」。悪い方向に行ってしまわないように、如何に自分自身を律するかが大事だと。そのためにも学びの実践です。

お金の苦労、そして人の苦労。苦難の連続で辿り着いた志を経営理念に掲げました。

『物流を通じて社員・お客様に幸せを届ける』

この理念を伝えるためにDVDを創り、今では採用面接時にも活用しています。

 

 

お客様から絶大なる信頼を寄せられているエム・カンパニー。お客様からの生の声は「細かい所まで気がつき、断られることがない」「若い社員の挨拶が徹底され、教育が行き届いている」です。社内コミュニケーションでは「徳目朝礼」に力を入れています。会社の勤務体制は24時間のため、出勤はバラバラ。でも、対面点呼時に「徳目朝礼」を実施するなど工夫をしてきました。

 

 

4.BSビジョン

木村会長との出会いは、今から10年前です。昨年の12月に木村会長との食事の席がたまたま隣だったこともあり、「BS経営」の話を間近で聴くことができました。今年5月には、BSビジョン策定のアドバイスで木村会長が会社を訪問。経営幹部を交えて話し合い、BSビジョンができました。「30期に自己資本3億円に」「無借金にして創業メンバー3名の年収を1000万円にしたい」。BSビジョンを創るとワクワクし、色々な知恵が出てきます。その1つが「エムカンパニー物流センターを自社で持つ」こと。これにより労働時間が短縮され、融通性が効くことで、もっとお客様の役に立つことができる。来年9月の実現を目指しています。もう1つは、「エム・カン牧場の分社化」。物流を最大限に活かし、畜産関係のお客様100社の余っている食材をWEB上で販売する市場を創造するもので、いずれは弟さんに社長を任せる予定です。また、肉が大好きな松木さんは、「外食事業(焼き肉屋)」に参入する夢もあります。そして最後に、「海外進出」です。1億円を海外に投資し、自分の実力、エム・カンパニーの実力を試してみたい。松木さんのビジョンは膨らみます。

「自分と幹部、社員の夢をカタチにしたい」。昨年、会社が20周年を迎えた時に制作したDVDにはその想いが込められていました。思えば、ボロボロの中古トラックを毎日洗車しピカピカにしていました。トラックはかけがえのない相棒です。エム・カンパニーは「夢を見つける場所、夢を叶える場所」でありたい...。

松木さんの夢。―― これまでお世話になったすべての方々への「恩返し」。「恩返し」は、自分の成長の結果だと言います。今回の「ゼロからの挑戦」は、まさに「無から有」を生み出した創業社長、松木さんのパワーがみなぎる渾身の発表でした。会場には創業当時から、松木さんを支えた専務でもある弟さん。経営社員(幹部)のみなさま、そして奥様も列席されました。社員のみなさまの「社長に付いてきて本当によかった」との一言が、松木さんの経営者としての姿勢、生き様を如実に現わしていたように思います。

 

〔木村会長のフィードバック〕

・昔、暴走族だった友人がワシにはたくさんおるが、暴走族にはリーダーシップがある。人を引っ張っていかなあかんからね。松木さんは若い頃ヤンチャ(暴走族)やったそうだが、そういう人はエネルギーが高くてリーダーシップがある。経営者にはリーダーシップが必要や。

・そこにきて松木さんは素直や。松下幸之助は素直が大事やと言っている。人は素直やないとあかん。ワシは素直やない。人は素直やないと人の意見が聞こえへん。自分が喋ってるばっかり。学んでる人はだいたい素直や。自分で変わろう、聴こうとしてるから。

・渋沢栄一はこう言った。「右手に論語、左手にそろばん」やと。論語とは言葉。理念みたいなもんや。論語だけでいいこと言って、それだけではメシが食えるか。左手にそろばんがないとあかん。そろばんだけでは人はついてこーへん。だから両方いる。経営とは言葉と数字。数字と言うのは計算が早くなれと言ってるんやない。銭の話や。日本の文化は銭のことはあまり言わん。言わんでもいいと思っとる。そして自分は数字に弱いと自慢たらしげに言いよる。数字が弱いんやったら経営するなと言いたい。数字も勉強せなあかん。

・松木さんは最後にBSビジョンを話したが数字が明確や。売上を上げると言ってるんやない。自己資本のことを言ってる。自己資本は税金を払った残り。つまり貯金をすることや。なんぼ稼ぐと言ってるんやない。3億円くらいのお金があったら、30%以内で新しい仕事(リスク)に挑戦できる。致命傷にならない程度にチャレンジしたらええ。それがだいたい30%以内や。彼は3億円のうち1億円をかけてチャレンジすると言ってる。それでええんや。借金してやるのは経営やない。

・松木さんは素直というのをあんまり深く考えてない。これが必要や。ワシもあんまり深く考えへん。慎重に考えてやったことがない。やりながら、壁にあたりながら何とかしてきた。変化というのがキーワードやと思って欲しい。何でも変化に対応しなかったら生き残れない。賢いのが残るのでもない、強い者が残るのでもない。変化に対応した者がしか残れない。虫けらでもええ。残ったら勝ちや。日本でも大きな銀行が潰れていった。東大出身ばかりや。変化対応力をつけていかなあかん。

・変化対応力をつけるためには学ぶし、人の話を聴く。やり方は見たらええ。上手いこといってることには、上手いこといってる理由があるし、上手くいってないことには上手くいってない理由がある。しかし、変化というものを前にして、人間は2つのタイプに分かれる。変化はチャンスや。チャンスをどうしたら掴めるかを考えるタイプと、怯えるタイプがおる。怯えるとゆでがえるになる。ゆでがえるは、ぬるま湯につかってそのまま死んでいく。「ゆでがえる商店街」、「ゆでがえる会社」いっぱいある。ゆでがえるの特徴は、できない理由をよく言う。学校に行ってない、経験がない、金がない、歳がいってる、歳が若い、男だ女だ、子供がおるとかどうたらこうたら...。こういう人はやらない理由を言わせたら一人前!みなさんにそういうのはないか。やらなくて成功したのを聞いたことがない。変化するチャンスや。今、日本は変化しとる。こんなチャンスは誰にでも平等にやってくる。掴む人と言い訳ばかり並べる人がおる。みなさんはどっちのタイプかよく考えてみて欲しい。

・やったら上手いこといくのか?失敗することはある。やって上手いこといったら銭が儲かる。やって失敗したら経験が儲かる。成功しても失敗しても儲かるんや。何もやらん人は、こんな損はない。ほとんどの人はやらないで人生を終える。じゃあ、どれくらいの割合で成功するんか。ユニクロの柳井さんはこう言った。1勝9敗やと。ワシの経験からしてもそんなもんや。でも失敗の先に成功がある。何もやらんかったら成功はない。仕事だけのことを言ってるんやない。スポーツも学者もみんな一緒や。

・みなさんどうでしょう?頭だけで考えても成功せーへん。今日最初、みなさんに「私の10年後」について3分間話をしてもらった。これに磨きをかけて欲しい。できないと思ったらその通りになる。みなさんが普段どんなことを喋ってるか。それがあなた自身です。ワシの口からはできない理由は一切出てこない。言葉を聞いたら分かる。自然体を作っとるから。できない人は理屈が多い。

・日本くらいチャンスがある国はない。2020年に東京オリンピックがある。開催の年ワシは80歳になる。24歳の時にも東京オリンピックがあった。オリンピックがあるというチャンスを目の前にしとるんや。既に東京では人が足らん状態で困ってる。土方をやる人がおらん。何もなかったら土方でもしたらええ。何でもやってやろうという気迫がないとあかん。

・人間の器というのは、分子が変化やったら、分母は対応力や。分子がカベ(逆境、困難)分母は器。人の悩みを聞いたらその人の器が分かる。誰でも平等にやってくるチャンスを掴める人間になって行こう。できない理由は口から言わないこと。

・松下幸之助は、「あなたが成功した要因は何や?」という問いに対して、3つあると言った。「貧乏やった」「学校に行ってなかった」「身体が弱かったから」。この3つが自分を成長させたと言っている。カネがなかったからカネの有難味が分かる。学校に行ってないから周りの人が偉く見えて知恵を借りることができた。身体が弱く、兄弟は皆死んでしまって自分しか残ってなかった。だから事業部制を作って人に任せた。任せるというのは信頼がある。そして任せて失敗したら責任を取るという腹があるんや。これで人は育つ。教えただけで育つものではない。経営とは、毎日、人の問題、お金の問題、お客様の問題に悩み、七転八倒することや。理屈だけでは経営はでけへん。

・世間では「人様に迷惑かけたらあかん」と子供の頃から言われて育つ。だから根拠の

ない不安に捉われとる。人には「世話になった」と思ったらええ。そして成功して税金を納めて世の中に返したらええんや。それくらいの度量がないとあかん。

・日本のステージは物凄く高い。このステージでやれなかったら世界中どこの国に行ってもできない。断言する。理屈ばかりで何もやらん人は失敗もせえへん。失敗してもええ、成功するまでやったらええ。

(まとめ:立道 岳人)

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