2012年8月22日 第27回「KKFCやってみよう会」 会合報告

2012年8月22日(水)大阪駅前第2ビル4階 キャンパスポート大阪
午後6時30分より午後8時30分


今回は、永野良宣さんが「我が人生を語る」発表してくれました。

やさしく、そして、しなやかな強さをお持ちの永野さん、どんな人生を歩んでこられたのでしょうか?
その生い立ちがスタートです。

1.子供時代
 昭和46年6月9日に3人兄妹の末っ子として誕生されました。
お兄さんとは9歳、お姉さんとは7歳、年が離れているそうです。負けん気の強い永野さんは、小さいころ、よくお兄さんに本気で向って行った。と述懐されていました。

 そんな中、小学校6年生の時、突然、お父様が家を出られたそうです。それから、お母様の背中を見て育ってこられました。お母様は働きものでやさしく、叱られた記憶は全く無いそうです。お母様は、忙しい中、山登りに連れて行ってくれたり、運動会、授業参観にも来てくれ、よく遊びに連れて行ってくれたそうです。

2.中学時代
 中学に入学すると、いろいろな先生からよく「君が永野の弟か!」とよく言われたそうです。お兄さん、お姉さんはすごく優秀で、ある時永野さんが数学で97点を取ったとき、数学の先生から「君のお兄さんだったら100点取っていたな」と冗談でいわれる程でした。

3.高校時代
 高校では陸上部に所属され、中長距離の選手として日々、一生懸命練習されたそうです。しかし、試合では思った結果が出せず不完全燃焼だったそうです。
高校3年になって、自分が機械いじりが好きだったこともあり、理数系に進みたいと考え大学受験するが惨敗、予備校での浪人生活に入ります。

 
4.浪人時代
半年で視力が悪くなりメガネを掛けるようになるぐらい勉強をしていた時、日本人初めての宇宙飛行士、秋山豊寛さんが宇宙へ旅立った時のテレビ映像を見たそうです。その時、地球はなんと美しいんだろう愕然とされました。そして、自分が志望している理数系、電機系の仕事はその地球を汚す元になるのではと思い自分の進路について疑問を持つようになりました。進路について迷いがあるまま2回目の受験。残念ながら失敗。2年目の浪人生活に突入します。

 2年目の浪人は、予備校には通わず日曜日にはアルバイト、平日は図書館で勉強されたそうです。この時は、2浪する友達もおらず、すごく孤独感を感じていたそうです。そして3回目の受験。私立の理工学部にみごと合格。

5.大学時代
 家庭の事情もあり私立の理工学部に入っていいものかどうか迷ったそうです。そして、自分の進路はこのままでいいのか?の迷いも消えず、大学で何をしようかわからないまま入学されたそうです。入学後は、2年間の浪人生活を取り戻そうと一生懸命頑張り、友人も早く作ろうと思い積極的に行動されました。

 しかし、そんなある日、大学通学途中に突然むなしくなってしまい大学に行かなくなってしまったそうです。なぜか、その辺りの記憶は、ほとんど残っていないそうです。

 それ以降、生活も不規則になってしまい、そんな生活も原因で虫歯になり歯医者さんに行ったそうです。ところが治療を何度繰り返しても虫歯が治らず、段々その歯医者さんが信用できなくなり、この事が原因で人間不信になってしまいました。

6.アルバイトを探す日々
 大学も退学し、なにか仕事をしなければと思いアルバイトを探し始めました。しかし、なかなか仕事は見つからず、もし見つかっても仕事が続かなかったそうです。

 この時期、永野さんのお姉さんも、アルバイト先をいろいろ探してくれる事で協力してくれました。郵便局のアルバイト、北海道の牧場でのアルバイトも紹介してくれたそうです。お兄さんも、そんな状況の永野さんにいろいろ話をしてくれたとのこと。その時の「自分の事は自分ですべて決めている」という言葉が今でも頭に残っているそうです。しかし思うように仕事が見つからず、今でいうニートの様な状態になり精神的に追い詰められていきました。こんな生活が3年も続いたそうです。そんな中、母親を責めた事もあったそうです。

7.転機になる出会い
 仕事を探す中で、ある派遣会社のマネージャーの方との出会いがありました。このマネージャーは、紹介した仕事を自分が途中で辞めてしまっても、永野さんを信用してくれて次の仕事を紹介してくれます。
この自分を信じてくれる事、自分を必要としてくれる事が、永野さんが自分に自信をがもてるキッカケになったといいます。

 次に、研究アシスタントのアルバイトを見つけたそうです。そこで、命の恩人ともいえる上司に出会います。その上司は、誰にでも分け隔て無く接してくれて、すごく行動が早く、本当に永野さんの成長を思って接してくれたそうです。のびのびと、やりがいを持って仕事ができたそうです。遂には派遣元協力会社の正社員になれました。

 しかし、尊敬していた上司が別の部署に変わり、新しい上司とは、考え方が合わず口論になってしまったこともあるそうです。その上司との対立の中、だんだん仕事場での居場所が無くなってきました。そんな中、図書館で「初心者のためのボランティアことはじめ講座」のチラシが目に入ります。
この一枚のチラシが永野さんの人生を大きく変える事になります。

8.「ことはじめ講座」への参加
 「第18期ことはじめ講座」に参加しました。沢山のパワーあふれる人々と出会います。講座参加者同士でハイキング、スキーツアー、ほたるツアーなどなど沢山の交流イベントに参加されたそうです。ここで2つの大きな出会いが生まれました。


 その出会いの一つは、「KKFCやってみよう会」の創始者の一人、我らが本間さんとの出会いです。本間さんの第一印象は、”おもしろい兄ちゃん”やな〜という感じだったそうです。しかし本間さんが数々のイベントを企画し沢山の人々を繋げていく姿をみていると、すごい人だな〜と感じるようになりました。木村会長、KKFCやってみよう会メンバーとの出会いも本間さんとの出会いがあったからこそだと思います。

 もう一つの大きな大きな出会いは、奥様との出会いです。奥様とは、「ほたるツアー」に参加しているとき出会われたそうです。
そのツアーでは「おりこうさん」と言うとお座りをする「豆太郎」という子犬がいて、なかなかお座りをしない「豆太郎」に一生懸命に何度も「おりこうさん」と声を掛ける奥様の姿を見て、この人と結婚したら幸せになれるんだろうな〜と思われたとのこと。
猛アタックの結果、遂に結婚されたそうです。スライドで奥様の写真を見ました。本当にかわいらしい奥様で、うらやましいかぎりです。ナイス「豆太郎」です。

9.ボランティアへの参加
 「ことはじめ講座」修了後、大阪府立整肢学院にボランティアで参加されたそうです。手が不自由な男の子と料理実習で一緒にくだものを切るお手伝いをした時、男の子がすごく喜んでくれて、すごくいい笑顔を見せてくれました。子供たちの笑顔を沢山作れることはいい仕事だな〜と心から思われたそうです。そんな笑顔を作る仕事をする為に「理学療法士」が良いのではと考え資格取得を目指すことを決心されました。

10.理学療法士への道
 理学療法士資格取得には4年間掛るそうです。昼は仕事、夜は専門学校に通われたそうです。
4年間の最後の1年はほとんど実習に行く必要がある為、8年間務められた会社を退社されました。務められた会社の元上司の方は、涙を流して会社を送り出してくれたそうです。そうして、みごと理学療法士試験に合格。
現在は理学療法士として活躍されています。

11.今までを振り返って、そしてこれから
 ひとつひとつの出会いは、どんなものでも大切なもの。考え方が合わず口論になった上司と出会ってなければ「ことはじめ講座」にも参加していないし、本間さんにも、木村会長にも出会わなかったと思います。今となっては、その上司にも本当に感謝しているそうです。

 今、木村会長と出会った事で目標の大切さを知り、自分の目標を定め、日々、自分を高めようと努力されているそうです。そして、これからも出会いを大切にして生きていきたいとの言葉で締めくくられました。

 本当に、ドラマチックな展開の発表に感激しました。出会いって本当に大事だな〜っと思いました。

 永野さん、ありがとうございました。

レポート:中澤良二


カテゴリー: KKFC会   パーマリンク

コメントは受け付けていません。

  • 2016年の予定

    01/12(火)
    01/26(火)
    02/02(火)
    02/23(火)
    03/08(火)
    03/22(火)

    04/12(火)
    04/26(火)
    05/24(火)
    06/14(火)
    06/28(火)

    07/12(火)
    07/26(火)
    08/09(火)
    08/30(火)
    09/13(火)
    09/27(火)

    10/11(火)
    10/25(火)
    11/08(火)
    11/22(火)
    12/20(火)

    すべて、18:30~20:30
    マジックバー手品家梅田店です!
     
    ☆★ 六甲山全山縦走 ★☆
    2016年12月4日(日)
     
  • 過去ログ