2012年7月26日 第26回「KKFCやってみよう会」 会合報告

7月26日(木)大阪駅前第2ビル4階 キャンパスポート大阪
午後6時30分より午後8時30分

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7月例会の発表は話し方のスペシャリスト、浅田幹子先生です。

浅田先生には早朝経営セミナーにて、大変お世話になっております。
いつもは聴いていただく側ですが、本日は発表側ということで、じっくり聴かせて頂きました。

さすがは話し方のスペシャリスト!
40分があっという間に感じられました。



まず最初に見せてくださったのが【トンボバリカン】。
今でこそ電動のバリカンですが、当時はハサミのようにチョキチョキするバリカン
浅田先生のご実家はそのバリカンを製造されていました。
ロゴにトンボのマークがついていて、品質の良いそのバリカンは【トンボバリカン】として有名だったそうです。

生まれて7日目のお七夜に「幹子」と命名されました。
お乳を吸いながらすやすやと眠る可愛らしい写真。

お父様は三回戦争へ出征され、三回目以降会うことがなくなられました。
そのお父様のお写真は眼鏡をかけておられ、スーツもバッチリ着こなされ、とてもモダンボーイ!
写真はお父様の趣味だったそうです。「お乳を飲んですやすや眠るというようにタイトルをつけて、展覧会に出していました。


三歳の頃は大人の話が始まると、じっと聞いて居るような子でした。そして外で話してしまうというようなことだったので周りからは「小さいうさぎが耳立てているで」とニックネームをつけられていました。今でもそのニックネームはとても気に入られている様子でした。

昭和18年、お父様が三回目の出征になり、見納めの写真となりました。まだ小学校三年生でした。

昭和28年、満州日産の技術家として満州にいたおじさまが京都へ戻られました。
消息もわからなかったわからなかったので、大変感動の再会だったそうです。
それまでは手紙のやり取りがあったのですが、手紙はいつも切り取られて穴が開いている部分がありました。それはきっと検閲で引っ掛かってしまった言葉が書いてあったのでしょう。
このように、家族親戚もみんな、戦争のためにいろいろな体験をされました。

 

中学生の頃から、自分がどんな性格なのかということがわかるようになります。
中学生の頃の写真は、応援団長をしている姿。女の子の応援団長は大変珍しく、おてんばということがみんなにわかる出来事でした。
その後も弁論大会に出場。かといって、弁論のことがわかっていたわけではありません。なんでも経験することが大事だとおもってたのです。
弁論大会の当日、いざ壇上にあがってみると、思ったよりも目線が高い!その途端に、頭が真っ白になり、 まったく何も話せなくなってしまいました。
書いてきた原稿を読もうとすると、細い字で書いているのでよくわかりません。
終わった後に一目散に家に帰りました。
普通ならくよくよと悩んでしまうかと思いますが、そうではありませんでした。
落ち込むのではなく 経験してよかった、 壇上にあがってみるものだなあ、上がるときは原稿は濃い字で書いておこう!と思ったのです。
なんとも前向きです。

ラブレター事件
中学生のときには好きな人が出来ました。
スポーツ万能でドッヂボールさせれば右に出るものはいないという感じです。
「あなたが好きです あなたにも好かれたら嬉しいです」
とラブレター書きましたが、渡すのは友達にまかせたところ その友達が手紙を落してしまったのです。
手紙は黒板に貼られて全員に知られてしまいました。
すると、何も知らない自分のところへ、クラスメイトが大勢、そしてその好きな人が走ってくるではありませんか。
手にはハーモニカに巻き付けたラブレターを持っています。
そして一言、「なんでこんなことをしたんや!」
普通の女の子だったらとても傷つくはずですが、そこでいった一言は「好きな人に好きと言ったら悪いですか?」
その途端に、大勢のクラスメイトは、ワーーッという歓声で溢れました。
当の好きなひとはなにも言わずに帰っていったそうです。


そのほかにも、授業中に先生の言ったことが面白くて大きな声で笑ってしまいチョークを投げられたエピソードや、テストで空欄のまま答案を出したすぐあとに、まだ採点をされていないにもっかわらず、こんな点は二度と取りません !とわざわざ先生に言いに行くといったのエピソードなど、本当に素直で、はつらつとしていて、良くも悪くも思ったことを言わずには居られないという、元気な少女だったのですね。
性格は学校の先生方もよくわかっていました。
通知表には「大人の感じがします。これからが未知数ですね。」とのコメントも。
のんきで明るく、大人っぽい、先生からも愛されていたのだなと思いました。

高校では、ハンドボール部に入部しフォワードになりました。
しかし足がとても遅かったのでフルバックになりました。ここでも落ち込んだりせずに、自分の強みを活かせるところでプレーすれば良いや!
ということでとても楽しく過ごしました。
ところが高校三年生の夏、地歴部という部活動に入部します。それも理由は「夏休みに青森に研修旅行に行けるから!」なんともちゃっかり者ですが、好奇心旺盛でチャレンジする姿が素敵でした。」

大学は母子家庭という事情もあり、公立を目指していましたが、その後入ったのが「田中千代洋裁学校」といっても洋裁は大の苦手。
月に一回ある神戸大学の講義が楽しみで通っていました。
学校では五人で一グループなのですが講義には出ない子が多く、ノート見せてとよく頼まれました。
初めの一二回は良かったですが、そのあとは「自分でとったらいいじゃない」と言ったそうです。その言葉がキツかったのか、五人組の一人はやめてしまいました。
夏休みには高校へ行って先生に就職先はないかたずねたところ、一社あったのでそちらへ行くことを決めました。19歳の時でした。

会社には男性ももちろんおりましたが、母子家庭で育ったので男性を名前で呼ぶのは失礼だと思っていたそうです。
そのため「おっちゃん」と呼ぶとかなり怒られました。
相手のかたは39歳でかなりショックだったようですが、それも若いので許されることで
すね。
その頃は目立ちたがり屋なところもあり、会社での催し物でかつらに着物姿の写真もありました。

それから時は経ち、浅田先生が話し方の講師としてデビューされたときのエピソード。
「実は話し方講師を始めたのは、次男の登校拒否がきっかけなんです」
お医者さんに相談されたところ、息子さんにベッタリでいるのも良くないと言われ、かといってフルタイムで働くわけにもいかず、悩んでいたときに、一つの新聞広告が目につきました。それが話し方養成講師の募集だったのです。
初心者だったのですが、面接には行いきなりの三分間スピーチ!「とんでもないところに来てしまったと思っています」から始まったスピーチで見事合格され、それから勉強されました。それから今年で18年目、ずっと話し方の講師をされています。
本当にご立派です。


お写真はどれも笑顔が素敵ではつらつとしていて、元気という感じでした。思ったことは実行するという行動力や発言力も感じられました。その元気の裏には、幼少期に戦争を体験されて、家族の話は戦争なしには語れないという経験もあります。
しかし辛いことや、苦しかったことは、お話にはたったのひとつも出てきませんでした。
いつでも前向きに明るく生きよう!ということを感じました。
浅田先生をより深く知ることができて本当に嬉しかったです。貴重なお話ありがとうございました。

 

木村会長の言葉
話す 聴く 書く ということの他に、もうひとつ大切なことがあるそれが行動力だ。
行動力が今の自分を作ったと思っている。


しゃべって相手に伝えるというのは、とてもすごい能力大勢の前で話す練習というのは、うまく話す練習ではない。
一人一人と目を合わせる、アイコンタクトの練習話すのが苦手だった自分も、この場を通じて変わった。

50回、100回と続ければ、必ず変わる
「本物は続く、続けると本物になる」

私もモチベーション上がりました!
ありがとうございました!

レポート 金恵実 きむへしる

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