2011年5月27日 第13回「KKFCやってみよう会」 会合報告

2011年5月27日(金) 大阪駅前第2ビル5階 大阪市総合生涯学習センター メディア研修室

5月27日(金)のkkfcの主人公は、ミロディビジョン「日本にいる経緯とビジョンを語る」であった。
彼は旧ソ連から独立したウズベキスタンから来た京都大学の学生である。
彼が普通の大学生と違っているのは将来のウズベキスタンの政治家になると確信できたからである。彼の大きなビジョンを聞くことができ、私たち起業家の視野を大きく広げ自分への知識の投資は決して裏切らないことを教えてくれた。家族を愛し、国を愛し、彼の計画を着々と実行している姿は、起業を志すものとして感動と知識への投資の必要性を再確認させてくれた。
今回このレポートを書かせてもらえたことに感謝し、またスピーチの内容が英語であったため詳しく知りたかったという声もあり、情熱・恵み・ビジョンという3部構成での話を私の今の英語力でミロへの感謝をこめて記録に残そうと思う。

背景彼が生まれたのは1986年。彼の祖国、ウズベキスタンは旧ソ連から、1991年に独立して20年余りの国。社会主義から独立した時は、国内は失業者が急増、不況が続き、社会が混乱、大学を出ても就職できないことから農業を仕事とする人が増え、貧富の差が激しく格差社会が浮き彫りになっていた。

父親の家族:ミロの家族: 7人(両親と姉二人、ミロ、妹二人)が2000年ころまで1Kの部屋で生活をしていた。


ミロディビジョンのスピーチから
テーマ①
私は1986年生まれ、旧ソ連が変化していくころ、家族にとって一人息子でとても愛され、さらに幸運なことに両親とも教育者であった。この子らに家族を守っていけるだけの知識を与えたいと両親は思った。そして私には世の中の人を愛し平等に助けてあげられる人になって欲しいという思いから名前が付けられた「ミロディリジョン」それは父がアラビア語での「正義の王子」という意味をもつ。大変光栄な名前とともに両親の想いと情熱がこの名前に込められている。両親は数学者と言語学者であった。両親は私が生まれたころから教育の道筋を立てていた。私が2歳のころの母は大学に入学し、父は知識を得る環境を与えてくれた。人生初めての知識は両親から受け継いだ。世の中が変化して行っていたのを覚えている。社会主義が他の勢力に押され世の中は大混乱に陥り、「知識を得ても何の得にもならない家族を助けるために富を得るには農業だ」と土地を購入し農業を始めた。実際はどちらが正しいかは定かではないが、その代償は大きかった。知恵のあるものがどんどん富を築いていった。そして格差社会が始まっていった。私の祖父もまた先生であった。私には8人の叔父叔母がいる。彼らも大学を卒業していたが、ほとんどが仕事を変え、私の父だけが教育者として残り、仕事に挑戦していた。誰のせいでもなく時代がそうであった。旧ソ連の崩壊ですべてが変化していった。私の父は教師の仕事が終わっても経済的な理由で他の仕事もしていた。そんな父をとても尊敬していた。私たち7人は、1Kの家に住んでいたのを今も覚えている。雨が降った時には雨漏りから隠れるために隅の方にいた。私が小さいころは姉のお下がりを着ていたが、中学生くらいになると父のおさがりをなんとか着ることができるようになり、早く大きくなりたいと思っていたが、間もなくフィットするようになった。
小学4年生の時、私は学校で今年の一番優秀な学生賞をもらったことがあり、これほど幸せな日はなかった。祝福を受けて家に帰る途中、家主のむすこが「勉強がよくても将来はうちの畑で働くだろうな」と 言った。その言葉に私は何も言えなかったが、きっと彼らを追い抜いてやると決意した。妹から、私の学校での受賞を聞いていた家族は温かく迎えてくれた。けれど妹は笑顔のでない私に気が付いていた。その日私たち家族は話し合いをした。その時母が言った言葉から生きていく意味を知る「もし私たちの生活がよくなれば周りのみんなが知識の大切さに興味をもつ。だからあなたが頑張ればみんなが変わる。あなた自身が強い精神と力を持たなければならない」この言葉は私の心の支えである。その時から私の中に力がみなぎるのを感じた。
この世の中を変えるほどの重要な力と情熱が自分に与えられたと感じた。

テーマ② 恵み
私の今までの経緯は努力したことが報われたり叶ったりしたものではない。もちろん私は、目標を定め誠実に挑戦していった。けれどそれだけではなく守られている力、神から与えられた力が恵みとなって表れていることを感じる。
最初に恵まれたのは、私は13歳のころトルコのインターナショナルスクールに行っていたが、学費や生活費などを学校が提供してくれたこと。私は英語とトルコ語を学んでいたが、学校側がワールドクラスレベルの教育に挑戦させてくれた。それに住むところ、勉強道具、教本すべて提供してくれた。もう、着るものの心配もしなくなっていた。 
今までと違う挑戦をしたことで、逆境に立ち向かい、新しいことに挑戦することを覚えた。私自身の心の中の情熱がより強くなっていくのを感じた。たまにくじけそうになっても、両親と姉妹が私をサポートしてくれた。 
高校を卒業してから私は国立大学に入ることができた。けれど、姉の大学の費用と私の大学の費用が重なり、両親や姉のために大学を辞める選択をした。 
私はどんな時も勉強に対する意欲は失われず、次の年に同じ大学に入る勉強は続けていた。二度目の入学時は国からの奨学金が出ることになり、両親に迷惑をかけることなく大学に入ることができた。私はその時ばかりは努力が報われたと泣いた。努力すれば報われることを立証したと。
その後、私は数学と英語の高校の教師となり、両親に仕送りをすることができた。やっと日本で言う親孝行ができた。さらに恵まれていたことはスタンフォード大学を卒業した教授に出会えたことだ。彼は大統領の戦略アドバイザーをしていた。彼は私の目標(メンター)になった。彼はいつも「政治家になるのを急ぐんじゃないぞ、大学はただの学校だ、君は海外でもっと高い教育をうけいろんな経験を積むべきだ」と言った。 
大学卒業まで一年を残し、別の恵みが訪れた、国からの奨学金により日本で勉強ができることを聞かされた。少しずつ私のスポンサーは増えていった。私は大変光栄に思ったが同じ時期に大学の卒業もかかっていた。日本に行くか卒業を選ぶかを私は家族とメンターにも相談した。彼らはみんな「君が決めなさい」と言ってくれた。私は日本の経済成長にも興味があり、日本に行きたかった。そして今私はここに立っています。

成功テーマ③
今私は京都大学の学生だが、その前は大阪大学で1年間日本語の勉強をしていた。京都大学では経済学、マーケティング、マネージメント、会計学、財政学を学んでいる。中でも財政学に魅力を感じ、今はより深く興味を持って勉強している。 
10年後、私はウズベキスタンの中央銀行に就職しようと思う、なぜならばウズベキスタンの銀行システムは世界では大変遅れている。中央銀行の前に私はたくさんの大手の銀行でハイレベルな経験を積まなければならない。そのためにもハーバードビジネススクールのMBA取得を目標としている。 
私の目標はたやすいことではない。挑戦しないわけはない。日本に来て木村会長に出会うことができ、「やってみなわからん、やったことしかのこらん」を聞いて、ますます自分自身の挑戦のハードルが上がってきている。

最後に私は言いたい。「知識は大変貴重で高価なものだ、将来の自分に投資するために勉強をし続ける、国と家族と未来のために」
ミロディビジョン 2011年5月27日 kkfcにて

 

最後に木村先生の喝を注入

 

レポート:鎌田 惺舟

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