2016年9月13日 第93回やってみよう会 会合報告

木村塾やってみよう会「我が人生を語る」

奥村昇平 氏 idG株式会社 代表取締役

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今回門浦がレポートさせていただきます。

奥村氏は私の前職時代の後輩です。

 

現在奥村氏は、大学、学生、企業の三方を繋げる仕事、具体的には、大学生の就職活動と、企業の採用活動の支援をされています。

大学では、就職課(キャリアセンター)の一翼を担い、就職相談、講座、就職イベント等を実施。企業では、採用支援における広告物の制作、及びブランディング等を行っています。

 

自己紹介も終わり、これまでを3つのパートに分け、お話いただきました。

 

1)1979年(誕生)〜2003年(大学時代)〜自分のルーツを探る〜

滋賀県草津市生まれで長男一人っ子。父親は調理師で、母親はパートで働いていました。

交友関係が広く、土日になるといろんな人が家に訪れてホームパーティー。

誕生日や、クリスマスには溢れるほどのプレゼントに囲まれていた。

その後の奥村氏の交友関係の広さを思うと、ここが原点なのかもしれません。

 

小さい頃から背が高く、小6で170センチ。

めだったせいか、学級委員、生徒会長、キャプテンなど、まとめ役が多かった。

中学では、野球部に入部。中2の時に交換留学でサンフランシスコへ。

時を同じくして大好きだった祖母が末期ガンで余命半年。

勉強も、部活も一生懸命がんばった。祖母が喜んでくれるのが嬉しかった。

猛勉強の末、進学高に入学。野球部へ。

勉強と部活の両立がうまくいかず、1年夏で欠点8個。

高校を辞めたいという気持ちにかられたが、親から「部活がしんどいだけ。高校をやめる必要は無い。」痛いところを突かれとどまる。

頭の悪さを自覚し、勉強は卒業。野球と趣味のカラオケに専念。

バットよりもマイクを持つ方が好きだった。

結局一度もベンチ入りできず万年補欠。

最後の夏は、応援団長。1回戦で負けてしまったが、高校野球ハイライトで目立った応援団長として取材をうけた。

レギュラーよりもテレビに映れてうれしかった。

野球部を引退して高校最後の学園祭では学祭実行委員長を任された。

全校生徒の前で宣言。「浪人覚悟で学祭を盛り上げます!」

学祭の全体構成、メインMCなどを務め、校長に今までで最高の学園祭だったと言ってもらえた。

そして、宣言通り大学受験に失敗。予備校へ。

たくさん友達ができ毎日遊びまくった。授業にもあまり出ず、京都の河原町で歌のうまい友だちとカラオケ。楽しかった。高い学費払ってもらってるのに、、、

夏期講習では、自習室にいる女子高生に一目惚れ。思い切って声をかけた。河原町デートやランチ、満喫した。夏の終わりに告白したが、フラれた。

彼氏がいたのも知っていたが、なんとかなるかもと思って飛び込んだがなんともならなかった。

そして、大学へ。特に大きな目標もない。サークルとコンパの毎日。

コンパでは仕切り役として活躍。※ちなみに奥村氏はそんなに飲めません(笑)

そんな生活も楽しかったが、地元仲間で何かをやりたいと思い、野球チームをつくることに。貧乏学生だったので、地元企業の社長にスポンサーになってもらうようお願いし、資金調達をした。社長から、交換条件に少年たちに野球を教えてやってくれと。これがただの野球チームではなく、世代を超えた組織になった。ジュニア、青年、シニア部門ができ、いつの間にか100名を超えるクラブチームになった。

大学3年の時、両親が商売をはじめた。滋賀県石山で飲食店を経営。もともと父が働いていたレストランの親会社が経営悪化。父の店だけ繁盛していた。店舗権利を買うことで、オーナーになった。立地も駅前でお年寄りの多い町。憩いの場として利用。年金が入るタイミングはお年寄りで店内は溢れていた。年商5000万、両親ふたりと従業員はパートとアルバイト。奥村氏もここでアルバイトをした。ご奉仕額、仕入、人件費、賃料など親から商売のイロハを教えてもらった。

そして就活に突入。やりたいこと?将来の夢?ビジョン?すべて何もわからない状態。5月終わっても内定ゼロ。

そんな状態の中、1通のメールが届く。「就活生のお手伝いをしてみませんか?」

就活生やのに???何のことがわからず、会社説明会に参加。

私、門浦との出会いです。

すごくいい雰囲気で、はじめて働きたいと思えた会社だったそうです。

仕事内容についてはよくわからないまま、内定。喜びました。

 

2)2003年(社会人元年)〜2010年(苦難の年)〜山あり谷あり仲間あり〜

そして、社会人。

朝5時に起きて、帰宅は深夜2時。朝から鼻血が止まらない日々。

※一言言っておくと、実家の野洲から大阪は遠いので一人暮らしをするというから奥村君に内定出しましたが、いざ入社すると実家から通うというので自業自得だと思います笑

 

「この会社はなんでもできる!」と言われていたが、何もできない自分に落胆。3年はやめないと決めていた。理由はない。

とにかく、役に立ちたい、成長したいと思い、社員総会で名古屋支社の開拓の話が役員からあり、「一緒にやりたい人いますかー?」と言われ、1番に手をあげた。他に挙げた人もなく、2週間後には名古屋に転勤。

六畳一間のオンボロ事務所で、役員とマンツーマンで営業のイロハを叩き込まれた。実績も見本もない中での営業活動。とにかく企業の課題を徹底的に聞いた。その課題に対して、課題解決策を提示。枠にとらわれない課題解決のオリジナル提案が顧客に認められ、行く先々で契約をゲット。以後の自分自身の営業スタイルの基本となる。

そうこうしていると、愛地球博、愛知万博、トヨタバブル、名古屋国際空港、とにかく名古屋が絶好調。そのど真ん中で、営業も絶好調!

この頃から、今年やること100、夢ノートを描いていた。1つずつクリアしていくのが密かな奥村氏の楽しみであった。

順調に業績をのばし、26歳で名古屋支社長に昇進。

人員も2人から11名に。

売上規模も3億円を超えるようになった。

 

年齢も27歳になり、まわりは結婚ブーム。友達にお願いされ、結婚式や2次会のプロデュースを多く手がけた。これが楽しく、夢中に頑張った。わかりやすく、感動し、感謝される。そして、大好きなMCをやれる。ほんとに夢中になりました。

 

その頃から、営業職というより管理職の仕事を求められるようになり、数字とのにらめっこ。

 

念願であった、支社メンバー全員達成での売上達成を果たし、嬉しい思いとは裏腹に、次の目標を見失ってしまった。次の年度にはゼロになっているPL表をみて、ある意味義務感だけで仕事をしていた。

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リーマンショックによる業績悪化。企業からの売上が激減する中、大学の売上は増加。当時国から大学に予算がばらまかれていて、キャリア支援の仕事が増えた。

先行き不安でいた中、出張先の京都で予備校時代にフラれた子とばったり会う。

お互い大人になっていたものの何か通ずるものがあったのか、付き合うことに。予備校時代は彼氏がいてフラれたが、今回も彼氏がいたが奪った。過去の苦い経験が生きた。リーマンショックどことろか、急に訪れた楽しい日々。正直浮かれていた。

リーマンの余波は長引き、職場の仲間、先輩、元上司が会社を辞めていった。

そんな矢先、順調に交際を続けていた彼女と結婚直前での婚約破談。リーマンショックよりはるかにショックだった。

原因は当時の彼女のお父さんによる反対。一部上場企業を勤め上げ、自分の生き方が絶対と思っているタイプ。

お前の生き方にはすべて目標がない。お前の甲斐性では娘に服1枚買ってやれない。俺はお前と同じ年齢でマンションを購入していた。この世の中は悪い人間が上に登りつめる世の中。お前みたいないい奴は上にはいけない。お前も悪い人間になれ。常軌を逸した非道な言葉に深く傷つく。何より、大好きだった彼女が急にいなくなった現実を受け止めることができなかった。

公私ともに絶不調。

両親や親友、先輩方に支え励ましてもらった。

野球チームに出資してくれた、地元のガソリンスダンドの社長(地元では石油王と呼ばれている)に事務所に来いと言われた。

その時に言われた言葉が、「昇平よ、この世の中、男以外、皆オンナや。次行け!」

と背中を押してもらった。世の中を男と女という目線ではじめて見た。

経営者はごちゃごちゃ考えず大きく物事をとらえる。

両親には悔しい思いをさせてしまった。今思えば、自分よりもショックだったろう。後に、父が悔しくて男泣きをしていたと母から聞いて奥村氏も男泣き。

「まさか自分がテレビで出てくるような婚約指輪を海に投げ捨てるシーンと同じような境遇に立たされるなんて、、、」、そんなときに「あんたの純粋な気持ちまで売る必要はない。お母さんが買ったる。」と、母が婚約指輪を引き取ってくれた。ほんとに愛されてますね。

 

3)2010年(奮起の年)〜2016年(経営者元年)〜夢の経営者へ〜

ズタボロのなかなんとか前に進む。

いろんな方からの励ましをうけ、もう一度自らと名古屋支社を立て直す決意で、徹底的に事業を見直した。

リーマンショックの頃からきざしのあった大学関連の仕事が順調。メンバー全員の力を合わせ、新たな事業のカタチをつくりはじめる。

ワクワクしない売上数値だけでの管理ではなく、事業ビジョンをつくり、メンバーに公言。「学生・大学・企業3方を相思相愛の絆でつなぐ」をビジョンに掲げ、メンバーと共に支社を創りはじめた。

東海地区の国公立大学のイベントコンペに全勝。名古屋大学、名古屋工業大学、岐阜大学、三重大学、などと取引をさせて頂いた。

それぞれの大学と強いパイプをもった企業を「大学ブランド企業」と定義し、「大学、企業、学生」三方のご縁の橋渡しの一端を担い、素晴らしい一期一会の出逢いを、大学生、企業に提供したいという想いで、相思相愛の究極を追及した。

7期連続赤字拠点の大阪営業部に異動の打診。

もともと奥村氏が社会人としてスタートをきった場所。

正直、仕事においては良い想い出はなかった。

独立したいという気持ちが強くなっていたので、このタイミングで辞めようかと考えたが、両親に、「今の大阪営業部を立て直せるのは、あんたしかいないんとちゃうか?やってみーや。」と言われ、素直に受け入れ、大阪へ異動。

すぐさま再生事業に着手した。

「大阪営業部再建」を合言葉に新しいメンバーと共に挑んだ。

1年で黒字化して、独立することを決意して。

 

関西にかえってきたので、門浦(私)から連絡が。

木村塾っていう経営セミナーやってるし、奥村来いよ!

参加すると、「3分で10年後の理想の自分、会社を語ってみよう!」といわれ、1分であえなく撃沈。

前に座ったほうがいいよといわれ、すわったものの、木村会長のお話に圧倒。「PLは言い訳!BSビジョンが第一!」「言い訳をするな!」「起業家になれ!」挙句の果てに、会長から不意に「わかるやろ?」と言われ、ぜんぜんわかっていない自分がはずかしく、居たたまれなくなった。

ただ、この日を境に起業家になりたいと強く思い始めた。

 

1年で大阪営業部を黒字化。夢の実現のために、会社を退職。

バイブルである、電通「鬼十則」に起業するなら36歳まで的なことが書いてあったので、36歳の誕生日の直前に会社を退職した。

 

経営者として新しいスタート。前職からつきあいのあった、グラフィックデザイン会社の社長と共に会社経営をすることになる。

前職の時はおもに企業パンフレットのデザインを発注。この会社にはデザイナー、イラストレーター、カメラマン、コピーライターそれぞれのプロがいる。いわゆるプロ集団。プロ意識を持って仕事に取り組む姿勢がかっこよかった。純粋に一緒に仕事をするのが楽しかった。この人にデザインをしてもらいたい。もっと一緒に仕事がしたい。いつしか一緒に働きたいと思うようになった。それぞれが自律した存在に憧れていた。

その社長と将来について語っていた時に、言ってもらった言葉がある。

「とにかく一緒に仕事をしよう。私はデザインしかできない。奥村さんは何でもできる。だから奥村さんが社長になってください。」

思いもよらぬ言葉にただただ驚く。奥村氏にはまったくない発想。可能性を広げてもらった。恩人である。この人のためにも会社をもっとよくしたい。退職金を資本金にあて、2ヶ月の準備期間を経て、代表変更。会社名も変更。奥村氏が代表になり、idG株式会社が誕生した。

現在、東海と関西で営業活動を展開。

「Think,together.〜ワクワク楽しい問題解決〜」を企業理念に、アイデンティティーのあるデザインは問題解決すると信じて、デザインの力の新たな可能性に挑戦。2017年新ブランド「人生劇団」を立ち上げ予定。人生の節目で大切なイベントを、世界でたったひとつの舞台へと一緒に創り上げる。人生劇団で、人生は、もっと、もっと楽しくなる!

 

そしてBSビジョンの発表。

10年後idGグループとして3つの事業の柱

①   グラフィックデザイン部門

②   キャリア支援部門

③   人生劇団部門(婚活、同窓会、生前葬など)

代理店からの請負仕事は廃止。直販体制を整備。

自分たちにしかできない付加価値の高い仕事に取り組む。

3つの事業を柱に10年後自己資本1億円を目標に経営。

(※木村会長から、現実的な目標として、役員1人につき1000万。ビジョンを共有し、10年後自己資本4000万を当面の目標にした方がよいと助言をいただく。)

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最後にこう締めくくられた。

母親に見送られて初めて出勤した、13年前、あの時の自分は、不安しかなかった。けど、今想うことは、仕事は楽しい。

出逢いと別れ、いろいろ経験したが、今ここにいるのは紛れもなく、出逢えた人たちのおかげ。

振り返ると、気の知れた仲間と一緒に働ける時間は、人生の中のほんの少し。その貴重な時間の中で、仕事も遊びも、その一瞬一瞬を本気になれたからこそ、楽しかったと心から思う。

不思議なもので、悲しいことや、辛いこと、悔しいことの後には必ず楽しいことが待っていた。

かけがえのない仲間やお客様に出逢えたことと、その人たちと一緒に仕事を創ってきた経験は、奥村氏の財産であり、誇りだと。「人が仕事を創り、仕事が人を磨く」素晴らしい人生であった。

現在、経営者として新たなスタートを切れたことを有り難く受け入れ、お世話になったすべての方々に感謝をし、これから先の未来に想いを馳せて、できることを精一杯頑張っていく。

そしてこれからも仲間を大切にしていく。

 

熱い男です。

期待しています!

 

レポート:門浦 智

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