2016年7月26日 第90回 木村塾やってみよう会  会合報告

講演 有限会社 エム・カンパニー 常務取締役 白川 尚範 様

テーマ 「我が人生を語る」

 

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 関西地方に住んでいる人達にとっては、この言葉は、時に最高の褒め言葉になる。

 

「腹立つわぁ・・・。」

 

私が、白川様の講演を聞いた後、率直に思った感想です。

相変わらず、節々で、噛んではいましたが、正直、めちゃくちゃカッコ良かったです。

 

 それは、白川氏が、素直に、貪欲に学び続けている成果が、現れていました。

 

幼少期の頃の白川氏は、今では、想像もつかないが、虚弱体質で、良く病気をしていたそうだ。白川家は良く引っ越しを繰り返していた。家は、大雨が降ると床下浸水になるような家に住んでいた。

 

在日韓国人。

 

それを理由に、幼少期は、いじめ、差別を受けてきた。

周りの事を信じる事が出来ない、相手は自分をどう思っているのだろうか?

なぜ、自分だけ・・・。

 

繰り返してきた引っ越し。次なる場所は和泉市だった。

ここから、現在の白川氏の原点となる人格が形成されていった。

 

 そこで、出来た友達は、今でも、良いお付き合いをしている。

そして、大人になった今、みんな仕事はもちろん頑張っているし、なおかつ活躍している。

 

 和泉市に引っ越してから、ようやく、友達が出来始めてきた。

そして、楽しい日々が続き、どんどん、性格も明るくなり、気づけば、学校でも有数のいたずら小僧になっていた。

 

 小学校・中学校時代は、何でもソツなくこなすタイプだった。

でも、それが本人曰く、堕落の始まりだったという。

所属していたサッカー部では、万年補欠。だからと言って特に必死で努力する事もなかった。

昔から、在日韓国人という事で、劣等感は強かったが、いつしか、それが、理由で、諦めるのも早くなっていた。

 

 高校に進学すると、成績もどん底、親に嘘をついて、学校をさぼってゲームセンターに通っていた。

 ひょんな事がきっかけで、所属していたサッカー部で、たまたま国体選手に選ばれ、現地まで行く事になったが、その後、当時、タバコを持っていた事が先生方に知られ、罰として、丸坊主にするか、サッカー部を退部するかの選択を迫られるが、あっさりと退部を選択。

 

そして、そのまま、何となく、目標も持たないまま、学校を卒業と同時に、当時からアルバイトをしていた中華料理屋にそのまま就職する事になる。

 社会人となったが、夢・目標など、掲げず就職した中華料理屋は、先輩社員とのトラブルがきっかけで、早々に退職する。

 その後、就職活動を行うが、ここでも、「在日韓国人」という事が、原因で、なかなか就職先を見つける事が出来なかった。

 

 そんな中、たまたま求人誌で見つけた所に、面接に行った。

 

 今から見ると、ここが、白川尚範氏が、迎えた最大の人生の転機であった。

 

 (有)エム・カンパニー 代表取締役 松木克浩氏との出会いだった。

 

 当時は、まだ、従業員数は数名で、面接は、松木社長の自宅で行われた。

その時、白川氏は自分から、「私は在日ですが、大丈夫ですか?」と質問すると、

松木社長は「そんなもん関係ない!エム・カンパニーはやる気を重視する!」と。

 

 今から20年前の7月。エム・カンパニー白川が誕生した。

 

 その時は、人数も少なかったが、当時から、従業員同士の仲間意識は強かった。

 

入社当時は、現在のエム・カンパニーの業務形態とは違う、配送を行っていた。

それから、現在の「畜産物流」の原点となる、冷凍食品を配送する業務が増えていった。

この頃から、食品配送の割合が増えると同時に休みも、どんどん減っていった。

 

 また、ここで、堕落の白川が出てしまう。

 休みがないから、しんどい→辞めたい。

何とか、仲間に引き留められ、続ける事を決意する。

 

 しかし、業務拡大とともに、仕事量もさらに増え、さらに休みが減ってきた。

 

 アカン。辞めたい。何とか辞める理由を作って辞めようとするも、こちらも創業メンバーである、松木社長の実弟である松木専務に「絶対にもう少し辛抱すれば、改善するから!」という言葉を信じて、続ける事を決意する。

(※実際、この時は、釘師になるので、辞めさせて下さいと伝えたそうだ。)

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 課長職という立場になり、事務所で配車係(配送を行うトラック・ドライバーの予定を組む係)に任命される。

そこで、さらに壁にぶち当たる。

 ドライバーからの不満。経営陣からの業績向上の期待。

 

 下からと上からの不満と期待の重圧に押しつぶされそうになった。

またもや、ここでも、何らかの辞める口実を作って、退職願を提出する。

(※この時は、おでん屋をするので、辞めさせて下さいと伝えたそうだ。)

 

 この時は、さすがに松木専務も、諦め、2か月後の退職を認めた。

 

このお話をしていた際、白川氏は、会場に来ていた現若手社員に、こう言った。

 「みんなも、必ず、これから自分と同じ経験をし、同じ思いをする。」

 「そん時は、遠慮せず、上司である自分に相談して欲しい」と。

 

 

 そして、この退職願が受理されて間もなく、エム・カンパニー史上最大の事件が起こる。

 

松木社長が研修と出会い、学ぶ姿勢が整ってくると、会社の売上も順調に伸びていき、ここで、社運をかけた大手チェーンの店舗配送を受諾する。

 

だが、そこで、大きな事件が起こる。

 その仕事自体が無くなるという、最大のピンチを迎えるが、その時、幹部社員の一言で、また、松木社長が奮起した。

 「社長、僕、このままじゃ悔しいですわ!また、ゼロから頑張りましょっ!」

その社員は、当時、2ヶ月後に退職する予定であったが、それも撤回した。

現在、その幹部社員は、エム・カンパニーの常務取締役である。

その人物こそが、白川氏なのだ。

(※その発言の1日前まで、おでん屋を目指していました。)

 

その事件以降、社員一丸となって、何とかピンチを乗り越えた。

 

そして、もう一人、白川氏に影響を与える人物が現れた。

「木村勝男」氏だ。

著書の「逆境に勝る師なし」の中に

育ちの悪い人でも・・・。という事が、心に響いた。

自分と同じ在日韓国人である人が、自分と同じ境遇である人が・・・。

 

 それから、自身もエム・カンパニーの取締役になるという目標を立てる。

そして、いつしか、松木社長から、後継者として・・・。という事を言われるようになったが、当時は、どこか「責任」という事から逃げる自分が居たという。

 

 現在は、その気持ちを少しでも無くすため、さまざまな場に行き、学び続けている。

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 会場でのエム・カンパニーのビジョンの発表は圧巻でした。

というのも、社長である松木社長が話しているかのような、社長と常務で、寸分の狂いなく共有出来ている事だ。

 そして、数年後は、白川アレンジが施された、ビジョンも聞いてみたいと思いました。

 

 自身のビジョンとしては、

・6年後の2022年6月30日にエム・カンパニーの社長に。

 ・65歳までに、貯金1億円を貯め、奥様と好きな時、好きな所に旅行に行く事。

 

 発表の後、会場にお越しになっていた、奥様とお嬢様からは、旅行ではなく、ハワイに住みたいという発言で、会場全体にとても、温かい、笑いが起こりました。

 

 会場には後方に臨時で椅子を増設するほど、大勢の方が集まっていました。

 

それは、愚直に学ぶ続ける白川氏。

そして、分け隔てなく接してくれる白川氏。

いつも楽しい空気を創ってくれる白川氏。

時に心強いアドバイスをくれる白川氏。

意見に対して素直に聞いてくれる白川氏。

 

幼少期から、さまざまな経験から、培った人間力を武器に、白川尚範氏の周りには人が自然と集まるようになっていました。

 

あまり褒めすぎると、また、お調子者に拍車がかかるので、ここらへんにしておきます。

 

これからも、共に切磋琢磨していきたい人物です。

 

だから、今回の発表が少しばかり、カッコ良かったので、腹が立ちました。

 

白川さん、ありがとうございました!

 

噛んだ回数は、16回でした。

 

 

平成28年7月26日 前田 繁孝

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