2015年5月12日 第63回 木村塾やってみよう会 会合報告

2015年5月12日 第63回 木村塾やってみよう会 中島大介さんの我が人生を語る

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中島大介さん、1976年生まれ、大正元年創業の老舗、お菓子の中島大祥堂の三男として生まれました。「お菓子というのは、文化と比例する」という創業者の考えの下で素直にすくすくと育ちました。

「コンプレックス」が成長の小さな種、完全な人間はいるわけも無い、だれでも何かしらコンプレックスがあり、そこに気づくことが成長の元になる。これも、ひとつのコンプレックスでしょうか?幼かった頃、母方の祖母もいっしょに暮らしていました。その祖母は不遇なことで痴呆症となり、中島家に身を寄せますが、時折、愚痴ともとれる母の悪態に幼いながら、疑問を感じる大介さんでした。今となってはその気持ちもわかる年齢になりました。

高校時代は、如何に先生を困らすか?どうさぼり、遊ぶかと気楽に過ごしていました。そして、大学進学、映画に目覚め、授業もそっちのけで、映画、映像製作に夢中になっていました。そんな中、大学で製作していた短編映画がグランプリを獲得し、自らの才能?を信じ、映画の道に進んだのです。

しかして現実はそれほど、甘いものでなく、映画を撮ることなど、夢のまた夢、アシスタント、下働きに元来、飽き性の大介さんは、道、半ばにもならず、あきらめてしまうのでした。

ここで1冊のほんとの出会いがありました。「銀座のママが教える「出来る男」「出来ない男」の見分け方」です。そのなかより、一人暮らし、一人旅というフレーズを見出した大介さん、友人(KKFCの茂山さん)に頼み、一人暮らしを始め、さらには、アルバイトで貯めたお金を元にアジア、インド、スペイン、さらにはキューバ、ジャマイカへとバックパッカーとなり、海外へ出て行ったのです。この経験が、その後の人生に大きく左右するのですが、そのときは、知る由も無く過ごしていたのです。

その旅もそろそろ、終盤の25歳の頃、元来、「飽き性」の大介さんも何かしら、働かないとという衝動に駆られました。

そんな時に、中島大祥堂で飲食店事業の計画が持ち上がりました。

持ち前の行動力でとにかく、店をやろうという発想で町をウロウロしているとき、ふと、出会ったところが、京橋のOBPにあるクリスタルタワーの1階でした。この時、ひらめいたのが、「この場所にカフェを作れば!売れる!」という、何かしら、啓示のような思いつきです。天性の明るさと旅で身に着けた行動力、そして、実家の援助もあり、大阪でTULLY’S COFFEEをオープンさせたのです。運が運を呼び込む形で商売の面白さに目覚め、梅田茶屋町の毎日放送も、さらにはヌー茶屋町にもオープンさせた。3年で3店舗の速さです。

もちろん、業績も好調に伸びていました。しかし、社員の採用はなくフリーターという時流のアルバイトで、切盛りしていました。

自分が見ていないときにも、どう、がんばってもらうか、という”やる気”をどう引き出すかという気付きがあったのはこの頃でした。

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商売も順調な中、次の事業としてタルト専門店「ハンプトンファーム」を、よりによって洋菓子激戦区の神戸三宮、トアロードに出店するという冒険に出ました。勢いで出店し、営業するものの、パテシエとの対立、店舗設備の無知、さらには、自らの専門性の無さ、などなど、莫大な負債を抱え、3年もしないうちに閉店という憂き目に遭いました。

しかし、大介さんは、ここで得られた、大きく、大きく、大事な、大事な、「経験=やったこと」を得られるのです。

また、それは、閉店する半年程前から、「海外」ということに何かしらのヒントがキラキラとちらついていたのでした。

その、ヒントの大きな、そして、海外を知る大介さんが確信したことは「日本のスイーツは世界で通用する」です!

そして祖父の言葉、「お菓子は文化に比例する」という、信念のDNAを引き継ぐ、事業展開を始めました。

その狙いを定めたのが、中東屈指の世界都市ドバイへの進出です。21世紀に入ってから多くの超高層ビルや巨大モール、ビッグプロジェクトが建設されるなど、富と文化が集まり、今やそこは世界的な観光都市となっています。

そして今そのドバイにある世界一の高級ホテルに大正元年創業の老舗、お菓子の中島大祥堂のわらび餅が静かなブームを呼んでいるのです。

現在、FC事業としてタリーズの経営、そして、お菓子を中心とした海外展開などのコンサルタントするなか、会社の20期(6年後、45歳)までに「自己資本一億円」を達成するBSビジョンを掲げました。

その目標達成の為には現在の延長線では、実現不可能。今後はあらゆるインカムを創造していかなくてはなりません。

その決意の固さには、優しく、楽しい、そして、明るいそして、みんなを共感させてくれる中島大介さんの発表でした。

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【木村会長の総括】

■「強い会社」とは変化に対応できる会社。自己資本はいくらあるか?いくら残したか?が大切。

■仕事を知らないからできない、というのはやらない理由にならない。やりながら覚えたらいい。

■自己資本1億円行けば、必ず変わる。ステージが変わる。

■「本業」という考え方は、ある時自分の可能性にしばりをつける制約条件になることがある。

■経営者はいつまでも私利私欲ではいけない。人・モノ・金・情報・市場、、、会社とは世の中のものを借りている。社員は会社で歳を重ねる。そういう意識をもって経営することである。

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レポート:中筋能資