2015年3月24日 第60回 木村塾やってみよう会 会合報告

第60回木村塾やってみよう会 我が人生を語る 橋本秀一さん

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昭和26年、大阪浪速区で生まれたらしい。
出生は詳しく教えられてないが、
4歳からおばあさんの長女に引き取られ、育てられた。
幼少期は父親の大工の仕事の関係で各地を転々として暮らす。

母親はとても厳しい人であったという。
毎日のように怒られ、おばあさんから押し付けられたのだと言い続けられた。
なぜこんなに自分は怒られるのか、
なぜもっと優しくて、裕福な家庭にもらわれなかったのか、考える日々だったが
今となっては実の父親がヤクザで迷惑をかけた為だからか
そんな父親のようにならないようにとの想いから
行き過ぎた躾になっていたのか
兄弟の子を引き取って自分の旦那に負い目があったのか
そんな想いが交差しておられるようだった。

反対に父親は優しい人だったという。
大工をしていた父は、ものを大事にすること
人とのつながりを大切にすることを教えてくれた。

橋本さんを預けたおばあさんは
定期的に橋本さんあてに小包を届けてくれた。
中にはおもちゃが入っていたり様々だったが
仕送り、養育費も入っていたようだった。

高校生になる頃、その父が倒れた。
4年間、定時制高校に通いながら仕事をした。
高校を卒業してすぐ、17歳で出会った女性と駆け落ちした。
運命の赤い糸がつながり、結婚。
二人の娘さんにも恵まれた。
その赤い糸はコードレスとなり、今もつながっているのだと笑って話された。10439016_815969798489656_3129991371212949539_n

大阪に出てきて、三畳一間で暮らし始め、鉄工所で働いた。
毎日同じ作業の繰り返しの日々。
自身の飽き性の性格で、たびたび仕事を休んだりしたが
辞めさせられることはなかった。
しかし、何度もそうしているうちに別の仕事場に回されてしまう。
雑用ばかりの仕事だったが、毎日違うことをするので
やりがいを感じながら仕事ができた。

しかし、7年間勤めた会社が自己破産。
計画倒産かもしれないという疑惑から
労働組合とともに調査をし、
次の会社を立ち上げる資金を集めた。
3年かかった。

そして、橋本さんを含めた4人で共同出資し、会社を立ち上げる。
それが今のフジムラ鉄工所だ。
元の会社の顧客データを使い、1件1件仕事をとってきた。
小さな案件をたくさん受けて、その日暮らしのようだったが
今となっては、色々な職種の仕事を請け負ったから、仕事の幅が広がっていった。
橋本さんが、このお話をされてる間、度々ご縁があって、ご縁がつながってなんとか続けることができたと
「ご縁」ということをおっしゃってたのが印象に残った。

しかし、共同で立ち上げた4人でぶつかってしまう。
当時、一番若かった橋本さんが社長になっていたが
ある一つの会社が倒産し、2000万円の不渡りが出てしまう。
全責任は自分にあると考えた橋本さんは
オーナー社長にしてくれるように共同経営していた3人に持ち掛けた。
全責任は自分が持つと半ば無理やり社長になるよりも
2000万円の不渡りが起きてしまい、会社は倒産。
まだ、3人の出資金を返せてなかった橋本氏、
協力してほしいと頼むが・・・考えが甘かった。
もうそのお金はええよ。
そう言ってくれるだろうと思っていた。
しかし、3人は全額返せ。仕事も一緒にできないと言われた。

2000万円の借金。
夜逃げも、死のうともすら考えた。

しかし、なんとかなるやろう、、、
橋本氏のもって生まれたおおらかな性格が助けになる。
3人には手形を切って渡した。
2000万円の手形は2年で完済した。
これが逆に銀行の信用をつけた。

今や60社と取引のできる会社まで成長。

障害があるたびに苦難を乗り越えればいい展開がある。
よくなる前には必ず苦難は来る。

自分はツキだけでやってこられた。
命拾いも何度もした。
「ご縁が助けてくれた」と、橋本氏は感謝をされていた。

オイルショックの時も、
潰れた工場の道具もお客もすべて引き継いでV字回服。
その利益で社員教育を行い、
工場も綺麗にするなど
福利厚生にお金をかけてきた。
結果、仕事のクオリティが上がり、
お客様の信用につなげることができた。

若い社員が来るようになったころ、課題が出てきた。
鉄工所を続けるには、、、?
息子もいない。

その時、ある青年がいた。
近所の子で、小さいころから悪ガキで
どうせすぐ辞めると思いながら雇ったが
その子のおかげで若い子とのコミュニケーションがうまくとれるようになり
今は20~30代の若手で仕事が回るようになっている。11071547_815777061842263_5504095683396128386_n

彼らのために何ができるか?
工場を買って自社工場を作り、自分の会社を創ろう!
7・8人の従業員、しかし資産がなかった。
ところが2008年リーマンショックが訪れる。
土地が値下がりし、手の届く値段まで下がった。
工場を買い取り、自分たちの手で改築していった。
トレーニングルームや、キッズルーム、遊び場なども取り入れた。
福利厚生の充実した工場をいち早く作り上げた。
自分たちの手で作り上げたので、
達成感や連帯感、愛着心が社員に芽生える。

ここから羽ばたけよ!
そういう気持ちで、障がい者雇用も始めた。
インターンシップも受け入れたことで
社員も彼らや人に対して優しくなった。

企業戦略として、TVの取材も若い人たちが製造業に興味を持ってくれるよう
取り入れている。

これからのビジョン。
社長交代に向けて、資産を元の状態に戻す。


65歳には飲食店を経営。
昼は安くてうまい定食屋。
夜は落ち着いて心地よい場を
人が集まる場所を作り上げたい。

皆が幸せになってもらえる
ここにきたら元気になれるようなところを作りたい。

今回初めて橋本さんのお話を伺ったが
常に「ご縁」を大事にされていて
そのご縁に感謝を忘れない姿勢に感銘を受けた。
やさしさ、愛情が常に伝わってくる。
人のために働き、人に幸せを与えることを大事にされていて
社員の方々との信頼関係はそうして生まれているのだろう。

やらしてみないとわからない
やる気のある人間にやる場を与える
他人にも自分にも
人生は自分で作る方が楽しい
逆境の大きさがその人の器の大きさである
これらがあって、人は初めて成長できるものである。

レポート:川原悠奈