2015年2月24日 第58回 木村塾やってみよう会 会合報告

 志賀喜彦さんのお話です。

58回3

 このやってみよう会で、我が人生を語ると決めた時から少し考えが変り、毎日を大事にするようになって感謝の気持ちが出てきました。との誠実さが伝わる挨拶から始まりました。

1974年、在日韓国人の3世として4人兄弟の末っ子として生まれ、同和地区で育ったため差別等感じずに育ちました。
母親は3歳の時離婚し、育ての母の記憶しかありません。育ての母(以後彼女)は絶対の存在で、彼女から中学生まで虐待を受けてました。上の兄は彼女になつかなかったので、新しい服やグローブを一切与えられず、私は逆に従順でしたのでまだましでしたので、兄より機嫌取りやと罵られる事もありました。また、父は彼女に対して暴力的でした。なので、自分が結婚する相手は“手をあげないでいい人”と思っておりました。ただ、彼女の良かったのは勉強には熱心で、本を読め!と本は買い与えられました。
本を読んでいても18時になると父親が帰ってくると読まなくていいので、小さいながらも時計も読めるようになりました。
小学校の時は、人の顔色を見て行動することがしみついていたのでチョケる性格で、運動もあまり出来なかった。
中学校は地元の公立中学、卓球部に入部(おかげで今はラウンドワンに行くと超人気者です)。
いちびりな性格でしたのでイジメにも合いましたが、不登校にもならず、ただ家族に知れるとバット持って行って来いって言われるのが分かっていたので言えませんでした。
しかし、人の痛みが分かりました。地元の公立に通うと同和の人ばかりで他の友達はできませんでした。

高校は普通の高校でした。父が自動車解体業だったので車はありました。運転免許を取ったらポンコツ車乗りまくって駅のロータリーでナンパし、朝10時になったらパチンコモーニングに並ぶっといった感じの生活を送っていました。
夏休みになると、父親の仕事の手伝いで解体した車をアルミ・輸出用の部品・鉄などに分けるなどをしました。
汚い仕事でしたが儲かっており、なぜ他の人はこの仕事をしなかったのか不思議でした。

父は在日2世、じいちゃんは1世。韓国で庄屋をしていたが、仕事上のトラブルで15歳の時、自分で日本にやってきたらしい。
けして強制連行等は無かった、ただ日本が良かったって言ってました。2世の父の世代はイケイケどんどん、じいちゃんの1世時代は4畳半の部屋から始めたので木村会長がおっしゃってる生活がよく理解できました。
周りの自営の方は税金も払わない人ばかりでした。

卒業後、家族3人でやってる解体業の中で働くのですが、父親からの給料5万円程でした。しかし、長男は高校卒業後、割烹の板前になりましたがギャンブル好きから借金をしては、帰って来て父親に払ってくれって泣きつき、父親もケツを拭いて廻ってました。父とは兄の借金で喧嘩「自分たちが汗水かいて働いた金でなんでケツ拭くねん」って納得ができませんでした。
その後、現状の納得いかない事は、すべて受け入れる自分が原因であると諭した「インサイドアウト」という本に出会ってはじめて気付き、今までは人のせいでしたが、変わった。
気付いたおかげで良くなった。「今が最高に幸せと言える今」幸せは気付くもの…
気付けて、よっしゃ~!よかった~気持ちが好転した。
稼いだ金=自分の金、使いまくった。しかし景気の悪化と共に解体業は下火になり、二男がやめ自分に会社が回ってきたが、経営状態はガタガタで面白くない。でもプライベートでは、結婚し子供が出来て家を建てました。
タバコも…禁煙セラピーの本を読んだ瞬間に丸めてポイ、やめました。子供は初産で24時間もかかり、赤ちゃんを手にした瞬間…気付いた。
父親が兄貴を許す気持ちが分かった。この子の為やったらなんでも出来る・許せると。
しかし、仕事は暇でした。5時には帰宅でき、3人の子供はみんな自分が好きで家の事はしないが絶対子供をお風呂に入れる。
嫁さんのおかげで良い家庭です。自分がしてないことを子供に教育するのは不安でしたので、子供のおかげで自分も変わった。

解体業の方は、機材等も古くなり新しくするには10億もの資金が必要で、その時点で無理!と判断し中古車販売を始めました。
最初は友人の山口君と始めましたが彼はトラックに乗って片手間でしたがやめて中古車販売に専念し、30万円までの車はよく売れるようになりました。その後欲をかいて100万以上の車を仕入れて販売するようになりましたが、客層が違い会社の信用が違った事に気づかされ、高い車はまったくダメでした。

そんなあるとき、家族連れのお客様がボクシーという車を買いに来ましたが、よく聞いてみると家は駅直結・子供の学校も近い、「家族でドライブがしたい」との事だったので、税金等経費の話をして、「レンタカーで十分ではないですか」と気付き、車を買いに来た人に車を買うなという営業。売り上げは一向に上がりません。
でも、後にそのお客さんは、車検の必要な友人を紹介してくれました。うれしい瞬間でした。
そして、その方が良いと気付きFCのレンタカーを始めました。中古車販売は注文販売のみでオークションに行く、お客さんには「在庫は1万台」と言ってます。お客様のライフスタイルに合った最適な車・格下提案営業。
さらに売り上げはさがりました。そんな中、中小企業同友会に入り、そこで会った経営者に「車売らずに何売るねん」と聞かれ、一瞬戸惑いましたが「愛です。愛を売る車屋です」と答え、モヤモヤしたものが吹っ切れました。
依然売り上げは下がり、借金も2000万に膨らみ、悪いことでも…と一瞬考えた事もありましたが、子供の顔を見て
「この子達が後ろ指指されるような生活はさせれない」と誓い頑張る事を決意しました。

58回2

 

坂元さんの紹介で、木村塾木村会長と出会い230億の負債を抱え解決させたと知り、自分は、たかが2000万円の借金で何をなやんでるねんと笑うしかありませんでした。会長の生い立ちも理解し、一言一句心に響きます。
あるとき、父が税金を払わない事を質問すると、会長は「それでええんや、あの人らは命とられてきたんや、それでええんや」と、そんな考えの人周りにはいませんでした。
会長に心酔し、ますます木村塾に通うようになりました。仕事を終え梅田に出てきてセミナーを受けていると、つい居眠りする事も…そんな時、会長は「寝るな」と怒ってくれます。この年でこんなに怒られることは無い、と快感に感じ翌日からのエネルギーになります。
会長の言葉で自然型…自ら燃える人他燃型…他人に点火され燃える人不燃型…なんぼ火を点けても燃えない人自分は他燃型です、火を点けるのが会長です。火のついた所に人は集まるねん。また、かりんさん・前田さんの体験を子供にさせてみる。
六甲縦走にも挑戦。気合を入れる為いきなり道具一式9万円分買ってドン引きされたり、しましたが、公式練習に参加して道を覚え六甲縦走チャレンジしました。
明け方5時に須磨を出て高取山・菊水山・鍋蓋山・麻耶山など次々と超えて行きます。木村塾の先輩たちが懸命にサポートしてくれ
最終関門の一軒茶屋には制限時間いっぱいでたどり着きました。そこでは、先に到着した仲間が膝を痛めて苦しんでいる光景を目にしましたが、自分は特に足を痛めている訳でもない。その時気付いたのは「この丈夫な体に産んでくれて、ありがとう」の気持ち、
記憶の無い母への感謝の気付きが湧いてきました。今までは兄弟の中では育児放棄のイメージが有り話をする事を避けて来ましたが、六甲縦走を通して「産みの母に会いたい、感謝したい」という気持ちが生まれました。
そして、会いに行く決意を固めました。
そして、今後のビジョンとして、今は従業員3人で実質赤字の状態です。これを5人体制、純利益100万円。
そして50歳の時に銀行借入を完済し自己資本を2700万円にする。このような、BSビジョンを描きました。
これが叶えば景色が変わる。そう確信し、それがこれから自分が「登る山」です。

以上が、志賀さんの「我が人生を語る」、幼少期からの辛い人生を、包み隠さず誠実に楽しさも交えて語って頂きました。

58回4

【質疑応答】
Q、六甲縦走はなぜ達成できたのか。
A、これまで人生でじまんするものが何もなかった。だから子供の為に
「かっこええ父ちゃん」になりたかった。これまでの人生、いつもしんどい時は投げ出してきた。ここで投げ出したらあかん。
今はあの子らが背中を見ている。そこに気づいたので達成できた。
Q、母に会いに行く決心は?
A、六甲縦走での健康な体に産んでくれた気付き。今までは人目や気持ちが気になっていた。今は人に迷惑を掛けてでも
自分がやりたいから行く。
Q、従業員5人に増やし売上向上できるのか?
A、レンタカーに加え、新車・中古車等のガラスコーティング作業をメーカー等は高額なので、お手頃価格でおこなったりする。

【会場からの感想】
・「わが人生を語る」に参加して以来、初めて泣いた。感極まった。
・苦労されているのに笑顔がステキ。器が大きい。「自分が原因」と教えられても、実際にそう思える人は少ない。
・自分が同じ境遇なら志賀さんのように許せたかどうか?志賀さんは器が大きい。
・いろんな出会いを大切にされている。
・素直で真面目な受け止め方をしたから、人生が好転し、成長されている。感動しました。
・「幸せは気づくもの」ということに感動した。
・本当に素直な人。これからきっと、ガーンと大きなステージに立たれるはず。
・つらい思いをした幼少時代、苦労を重ね気付いた今、荒れ地を耕し種まきした所、
今から成長してすばらしい人生を歩んで行きましょう。
・最初の方からごう無きやった。頑張ろう。
など…

【語り終えての志賀さん本人の感想】
先ずは感謝。同友会を紹介して下さった坂元さんのご縁から木村塾にも来れた。縁は繋がっている。
上にあがるらせん階段な様なものだと思う。あらためて責任を感じる。社員・その家族を背負ってる。
ほかす訳にはいかない。

【木村会長のフィードバック】親子の確執、とくに父親と息子には必ずそれがある。わしの父親はわしが中3の時に死んだ。
それからわしは家族を食わせなあかんようになった。その後、親父が死んだ歳である37歳になったとき、
そしてバブル崩壊で奈落の底に叩きつけられた50歳の時、親父に感謝できた。親父は死んでわしにステージを与えてくれた。
自分が神さんに与えられた環境はすべて最高で最善と捉えてほしい。わしも貧しかった。志賀さんも貧しかった。
ハングリー精神とチャレンジ精神は表裏一体。ハングリーな人でないと挑戦しない。逆境に対し順境は人をつぶす。
志賀さんの話にはビジョンがない。ふわふわしている。「こうなりたい」というのがない。ビジョンに数字を入れろ。
志賀さんの会社は第1期を終えたばかり。その決算書を見た。いいBSを作ること。そのBSが武器になる。武器を作れ。
カネを親父からもらっても、力はつけへん。稼いでカネを貯めること、それを資産運用したりすること、その過程で力がつく。
「金活」や。相続や、拾うたり、宝クジやない。稼ぐ過程に葛藤がある。50歳までにそれをやったら力になる。
人間、優しいだけではアカン。強さからくる優しさやないとアカン。
資金を調達する力が大事や。アフリカには金(ゴールド)がある。日本は現金がある。こっちのほうがええ。
決算書が武器になればカネを引っ張れる。
起業家とは・・・①カタチを変える人。②リセットできる人。(本業は変えてもいい。「進化する」と言え)③メシの種を作れる人。

志賀さんは起業家になるのにいい環境を与えられている。祖父の代からの起業家一家や。
できひん理由を言うな。言い訳を言うたらアカン。言葉は外に向かって吐いても、内にも向かっている。
自分がそれを聞いている。
「経営学」は学ぶことも教えることもできるが、「経営」は学ぶことも教えることもでけへん。
資金繰り、お客、従業員、いろんな問題が出てくる。次から次に出てくる。あれが先生や。問題が器を大きくしてくれる。
大きな問題が来るということは大きな器になったということ。その人の器以上の問題は来ない。
天はそのひとに乗り越えられない壁は与えない。やると決めたら方法が出てくる。逃げたら出てけえへん。
志賀さんはレジスタンスをいっぱい持っている。あとは決算書を良くすること。そうしたら本当の優しさが出てくる。

【山地泰輔の感想の感想】つらい思いをした幼少時代、苦労を重ね気付いた今、荒れ地を耕し種まきした所、今から成長してすばらしい人生を歩んで行きましょう。上記は、私の直後の志賀さんに対する感想です。
以下は今の感想です。この木村塾に参加するようになり、苦労した・つらい思いをした等人生経験を共有し、共に学び共に成長するという言葉を実感いたしました。
木村会長のフィードバックも苦労した人に対しては特に、熱い!わかりやすく実感できる内容でした。
彼の人生に置き換えBS経営を説いてくれる。また、今回レポートをすると言った事により、より話を聞き志賀さんの人生を理解できました。ただ読むだけではなく一度、直接話を聞いていたので2回話を聞いたような感じです。
そして、レポートを書くと、さらに自分の経験のように感じる事ができました。
会長のおっしゃってる意味がさらに理解できた気がします。やってみなわからん、まさにその通りでした。
ぜひ、皆さんも自分から、レポートしてみてください。必ず気付けますから…今回の志賀さん並びにみなさん、ありがとうございました。

レポート:山地泰輔

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