2015年2月10日 第57回 木村塾やってみよう会 会合報告

 ~山地 泰輔さん 我が人生を語る  農耕スパイラル人生~

いつもながらの元気な挨拶。
そして謙虚な姿勢からのトークの始まり。
常に笑いを交えながらのトークでした。
会社員時代のお話が一番熱がこもっていましたが、
山地さんの原点は、ここなのかと思わしてくれました。

57回2

『雑草魂!諦めない、根強く辛抱強く 常に前向きに!』
それが泰輔スタイルだと感じました。
3兄弟の次男として誕生しました。
父が女の子が欲しかったので、女の子として接せられ、
父に可愛らしい服を着させられた幼少時代。
友だちとは、元気でアクティブな少年で、セミやカブトムシなど率先して取りに行き、人に自慢したりしてみんなから人気者。
このころの初恋は幼稚園の先生、とてもきれいな先生だったみたいです。
小学校3年生で寝屋川から枚方に引越し、父が設計した家に住んでいました。
特に不自由はなく、楽しい時代でした。
枚方にきて初の転校、その時の健康診断で不整脈が発見され、病院の判断で激しい運動は避けるようにと言われ、運動から離れ、絵をかいたり、百科事典で調べたりパソコンしたりと、インドアな生活を送っていたということです。
その為6年生の頃、50メートル 10秒という、運動が出来ない少年でした。
本当に体力がなく、ひ弱な感じでした。57回3

父の教育方針が、
「やりたいことをし、勉強ばかりするな」
ということでした。
学力はないが根本は明るい泰輔さん。
スカートめくりが得意だと豪語していました。
スカートめくりをしながらも、女性からは人気者、斬新なスカートめくりであったのだろう。
中学校に入ってから、このままではあかんと思い、テニス部に!
クラブで走っているうちに50メートルが7秒台になりました。
やはりもともとはアクティブな人で、可能性に満ち溢れている人なんだなぁと思います。
お兄ちゃんがラグビーの有名校に進学し、練習に付き合わされました。
毎日走り、走り倒した日々。
気づけばぜんそくが治っていましたが、実は、ぜんそくも運動不足からくるもの。
体力がないから体がよわっていたんだなと気づかされました。
やってみて気づいた経験でした。
中学の頃から父の会社が傾きはじめ、兄の高校でラグビーをしたかったけど諦めました。
しかし、勉強はしまくって公立高校に入ることができ学校こそ違うものの、ラグビー部に入部しました。
部費、学費、体力を稼ぐために、新聞配達の仕事をしました。
お兄ちゃんとの練習の成果なのか、一年生から試合も出さしてもらい、他の人よりもうまかったそうです。
高1で父さんの会社が倒産。
引越、離婚となりました。
離婚の原因も 父が他の女性と・・・・・
部活もやめ、荒れ狂う日々でした。
大人を舐める人生で、問題児。
それも実は、怒られたい、認めてもらいたいという発信だったと今は振り返って思うそうです。
しかし、そんな時でもバイトの親方、先輩たちはかわいがってくれました。
高校卒業後に、お店をやらないか?やる?と言われましたが、まだ早いと思って、受けませんでした。
その後、そのお店は倒産。
ここでいろんな思い出もあり、感謝もあり、自分もこういう飲食店をしたいと思ったとのことです。

57回4

お金を貯めなければと想い、仕事をしようと思って手にしたフロムA。
某運送業の内容が一気に目に飛び込んできました。
 【三年で家が買える】【給料MAX80万円】
つらい仕事とは聞いていたが飛び込みました!
 
しかし面接時に、面接官から軽くあしらわれました。
見た目がひょろいせいだと自覚はしていたが、、、
この面接官より長く続けてやろうと決意したようでした。
目標
①3年で家を買う
②給料MAX80万円
③面接官より長く続ける
入社初めての研修は非常に厳しいものでしたが、これが基盤となり、終わるころには感動!
厳しさの中にドラマがあったみたいです。
最初の3年は内務、
一番年下ということもありいろんな話しをきけました。
飲食経験者からの話も聞け、なにかと良かった時代です。
4年目で配達業務へ。
休み返上の仕事でした。
仕事の効率をひたすら目指す日々でした。
常に考える癖付けが出来た時だったみたいです。
5年目で、あの面接官の配置変更があり、合わずにやめてしまったみたいです。
ここで一つの目標を達成し、そのころ給料も80万を超えていて目標を2つ達成していた。
目標の300万円も届いたが、自営で失敗している姿を見て、夢を失ってしまったせいか浪費をし続けた、、、気づけば借金4000万円!!
16年目に結婚し、そのころから 無呼吸症候群が発症し、ドライバーにも支障をきたすことが増えていきました。
やばいやばいと思いやめようと思いはじめた17年目に降格。
目標は常に達成していました。
病状も悪化し、事故を起こす前にやめないといけないと思う日々。
その時から、後輩に教えていかないといけないと意識しだしました。
農耕螺旋方式という独自の仕事スタイルを伝えることで若手たちの目標達成のお助けをし、色んなノウハウを伝えていきました。
19年目に奥様が精神不安定になり、そこからほつれはじめ、離婚に。
21年目に事故を起こしていまい、完全に退職を決意しました。
手打ちカレーうどんを開業する為に、見習いを開始。
居抜き店舗でFC経営するものの、1年もたたずしてFCから撤退。
翌1か月後に、8月オープンをめざして計画、行動。
『麺どころ 泰輔』として開業、今に至るという流れでした。

ビジョン
【今年8月までに】
法人化 2名の増員
売り上げは月250万円 
【3年後】
6店舗 年商1億、総資産5000万円
年2店舗増で展開をしてきます。
1月から新事業、スプレー式ウレタンを立ち上げ、8月には創業。
年度売り上げ5000万円を目指します。
3年以内に、年商3億円。
総資産1億円、5年後には市場を100億円にする。
そのたまったお金で、青少年起業家アカデミーを作り、
いろんな人たちの人生のサポートをし、応援できる場を作ります。
やる気のある集団を創り世界に挑戦していこうと考えています。
常に元気で活気に満ちた我が人生をカタルでした。
木村会長からはビジョンの形成に厳しいお言葉を頂きましたが、しかと胸に刻み、邁進するという決意も現れ、今後の『麺どころ泰輔』 
発展が楽しみになりました!

57回1

泰輔さんは、ラグビー部、そして某運送業と男気あふれる環境で
生きてこられたと思います。僕自身は洋菓子屋というまた女性がたくさん働く環境に身を投じてるので、また違った触れ合い、教育の仕方になると思います。僕にはない泰輔さんの、背中を見せて。「俺について来い」というスタイル。これからも長い人生お互い切磋琢磨して共に学び共に成長していきたいと思いました。

レポート:堀口明裕