2014年10月20日 第53回 KKFCやってみよう会 会合報告

10月20日グランフロントで開催された木村塾やってみよう会。今回の「我が人生を語る」のスピーカーは、謝思さん(シャさん)。中国は「湖南」出身の彼女の幼少期〜今に至るまでの人生を聞かせて頂いた。写真2

まず印象的だったのは会場に到着してからスピーチが始まる間にお会いした時に目、がいきいきとしていた事。これからスピーチを控えると緊張もあって萎縮しそうなものだが、そんなものは一切感じられなく、明るさや前向きな印象を受けた。

時間になり紹介をされると、先ほど着ていた服とは違い、チャイナドレスに着替えて登場。会場が盛り上がった。

「自分の道は自分で切り開く。目の前の事に全力投球」をモットーに人生を邁進する謝思さんは、父・母・妹の4人家族。厳しいお母さんと優しいお父さんに育てられた。日本に来てから20年になる。日本に来るきっかけになったのは曽祖父の影響。曽祖父は、1927年から2年間大分で仕事をしていたことがある。

謝思さんが今の人生を作るきっかけになったのが、高校1年の時。お父さんを事故でなくし、自分でなんでもやらなければいけなくなった。当時学年でも好成績で大学進学について会社からの応援もあり選択肢はあったが、謝思さんは就職を選択。お父さんの会社に入社し8年半勤めた。

そんな中、曽祖父の影響もあり、日本に留学に行きたいと考える。平成6年に曽祖父の働いていた場所でもある大分県に住み、3年間学校に通いながら旅館で働く。短期大学では商業経済を学び、就職をする。

就職先では事業の中国進出の話もあり、そこで自分の中国語の力が活かせると思いきや、そこまで事業展開がすすまず、国内準備に追われ、自分の脳力を生かし切れないままいた。謝思さんは「自分が納得しないとだめ。納得がいくまでやる」という性格で、それでもやめずに働いた。じっくりと何事もやり遂げる中チャレンジ精神も旺盛で、大阪、東京でも仕事をする。

「助けられるよりも人を助ける喜びがもっと大きい」

謝思さんは、日本にきて日本が出来ないハンデキャップがあり、いろんな人に助けてもらう人生を送り、20年の生活の中で今までハンデキャップだった事をプラスに変えて、今では通訳の仕事や、日本と中国をつなぐ仕事をしている。この時に改めて、どんな不利な部分でも見方を変えれば強みに出来る、強みになれば人の役に立てるということを、改めて理解させられた。写真3

謝思さんの話のなかで、多々日本と中国の文化の違いや、日本にいては見られない視点のお話も聞かせて頂いた。日本では飛び込み営業が苦手な人が多い。ところが謝思さんは逆に飛び込み営業が得意で、そこが強みにもなっている。これも文化の違いだろうと話す。

そして関東関西に住んでみて感じたことで、関西の人は好きか嫌いかがはっきりとしている。関東の人はどちらでもない。という話。言われてみて、確かにそうかもと思った。私は今回の話を聞いて思った事は我々には当たり前に感じていることでも、文化や生活環境の違う方からみたらまた別の視点があり、そこに大きなチャンスがあると感じた。

またこの日本に置いて違った目線を持っている謝思さんには、チャンスが沢山みえていると思った。これからますますグローバルな時代になり、中国と日本の距離が縮まると謝思さんに助けられる日本人は多くなることだろう。

謝思さんは毎日ラジオ体操をすることを目標としている。また山登りやバトミントンも積極的に行い、これからの木村塾やパワーアップセミナーにもどんどん参加し、湖南と日本でのビジネスモデル作りを目指している。中国出身ということもあり、言葉の壁というハンデがある状態から、それを武器にしてビジネスをしていこうとする謝思さんの姿勢に、心を熱くさせられた。

お父さんを早くになくし、日本語も出来ない状態で日本にきて仕事をする苦労は計り知れない。だからこそ逆境の中、乗り越える力や生き方が身についたのだろう。

スピーチの最後には、「このやってみよう会でスピーチをして本当によかった。みんなももっとやればいいのに。」とやったものしかわからない自分の棚卸しの素晴らしさを語り、スピーチを締めた。謝思さんのお話を聞くと、まだまだ自分に与えられてる環境は楽で、これに甘んじることなく頑張っていこうと思った。

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レポート:前田真孝