2014年9月25日 第52回「KKFCやってみよう会 ~京都会場~」 会合報告

2014年9月25日(木)18:30~20:30
第52回 木村塾 やってみよう会~京都会場~
アスニー山科

京都で2回目の「木村塾 やってみよう会」。
今回の我が人生を語るは、温め屋にゅうとらる 姜 智可子(かん ちかじゃ)さんです。
普段から人気者の姜さん、倫理法人会でも講和をされるなど非常にパワーのある方です。
しかしながら、ご自身の人生を振り返り、披露するのは今回が初めて。
少し緊張した面持ちで話が始まりました。

姜さんは、2014年に木村会長と出会います。
数字に苦手意識のある姜さんには衝撃的な出会いでした。
1001人の起業家の中に入りたい!!
木村会長を味方につけたら、数字が強くなるかも!!
そんな思いで、東京にまで追いかけました。
人の生立ちなんか聞いて何が面白いの?と思っていましたが
50歳を迎え、この我が人生を語る機会に恵まれ、自分の人生を振り返ると
一つ一つ、無駄なことはなかったんやな~と思いました。

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昭和39年8月生まれの50歳。
姜さんは、生みの親と育ての親が違います。
生みの親は、いわゆる父親の愛人です。
育てられたのは、父親の本妻です。
幼い頃母親が結核になり、施設に預けられました。
小学1年生で、育ての親(父親の本妻)と暮らすことになりました。
その時言われたことは、
「あんたは私の子供じゃないから」
幼すぎて何も疑問に思わない姜さんは、へー、そうなんだと思ったそうです。
小学3年で、すでに家庭を持っていた長女と一緒に暮らしだします。
中学になり、2番目の姉と一緒に暮らします。
そして高校生になったとき、父親の癌が発覚しました。
健康が取り柄だった父。
病院で調べると末期がんでした。
手術も手の施しようがなかったようです。
今から35~36年前の話です。
病院がべったりついて看護してくれるわけでもなく
家族の誰かがついて看病しないといけませんでしたが、
長女次女は姉妹喧嘩をして誰も看ようとしません。
たまりかねた姜さんは、「私が見る!!」
そしてまた実家に戻ります。

その看病の際に思ったことがありました。
「病院って人を見ていないな~」
検査対象としかみていないようで、検査検査の連続で病人が疲れ果てていってるにも関わらず、また検査で・・・
11月に父親が他界しました。
その後、学費は自分で稼ぎながら、アルバイト代も2万円だけ自分でとって、あとは家に入れました。
時給400円程度のところでやってましたから、他にもっともらえるところはないかと探し800円のところを見つけます。
そして、明細を自分で作り、今まで通りの金額を家に入れ、自分は2万円もらい、差額は自分でとりました。
高校卒業と同時に、家を出ました。
もっとも、育ての親に「家を出なさい」と言われたから出ました。
ただその時も、へー、そうなんだと思って家を出ました。
むしろ喜んで出たような記憶があります。

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家を出て暮らし始めたのが、礼金2万円、家賃1万2千円の4畳半のアパートです。
電気もなく、夜になるとこたつを立て掛けて、その光でやり過ごしました。
そんな生活も今思えば楽しんでやってました。
ガソリンスタンドの事務でしたが、とはいうものの、ほとんど店頭に立っていました。
とにかくお金もないので、家から職場までの交通費は生活費に回し、通勤は自転車で3~40分かけて行ってました。
そんな中、運命の出会いをします。
相手も韓国人でした。
出会って3回目で「結婚しよう」と言われます。
はあ???
と思いましたが、その後もほぼ毎日会ってましたし、まあ結婚した方が時間も合わせる必要ないし、、、
と結婚しました。
20歳で結婚です。

もともと美容師になりたかった姜さんは、その道を目指します。
学校へ通い、美容院へ就職します。
自然素材を扱うところでした。
美容師の仕事というのは、朝から晩まで、とにかく拘束時間が長い!
体調も崩し、やめたいと思いました。
そして、結婚していることを打ち明けます。
それまで学校も、就職するときも、結婚は隠していました。
ばれると、学校も通えない、採用もされないと思ったからです。
意を決して打ち明けたところ、色々と配慮を頂けるようになりました。
それぐらい、姜さんが頑張ってたからですね。
給与も時間も他のスタッフに比べ、優遇してくれました。

子供を授かり、美容院を退職します。
病院に行きましたが、病院でのお産は嫌で助産院にお世話になりました。
初産は異常があり陣痛はあまりなく、出産に18時間もかかりました。
異常がなければ陣痛も痛いはずです。
人間の体って、うまくできてるなと。体には知性があるのだなと思いました。
その後次男、三男と生まれましたが、次男のお産は1時間、三男はなんと5分で出産。
あまりの速さに、助産院が「まけたげる」と。
お産費用をまけるって聞いたことありませんが、しかも向こうから。
三男はちゃっかりもので、姜さんが三男から500円借りようとすると550円で返してくれるなら貸していいよと。
後々、お産の時の出来事は、三男がまけさせたんだなと思いました。

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37歳で離婚をします。
子供3人抱え、とにかく稼がないといけません。
どこにも受からず、生命保険が唯一声がかかりました。
わずかな日当でしたがここしかありませんでしたし頑張りました。
2年ほどしたときに、月30万円の仕事の話が来ました。
エステの仕事です。
3人の子供を抱えて、定期的に入る収入が本当に魅力的でした。
そして年末に働きだします。
そして10日でクビになります。
しかし、そこはエステを入り口とした金貸しやだったのです。
本当にひどい会社でした。
時には灰皿を投げられたこともあります。
ここからは本当に怒涛のようでした。
同時に、泥棒に入られました。
子供を取られました。
カードを止められました。
もうどん底です。
いくら寝ても、休んでも、体が元気になりません。
そんな時、体の内側から大地の上で寝たい!という衝動にかられました。
知人の畑に行き、ごろんと寝転んでみました。
体が復活するようでした。
そして思いました。
もう自分でやるしかない!何も決まってないけど自分でやろう!
これまではいろいろなものに翻弄されてきましたが、今思えばこのいろいろ色々な出来事にも
全て意味があったのだなと。
泥棒に入られたことにより、保険金が入りました。
子供がいなくなったことにより、自分自身を考える時間ができました。
カード止められたことにより、支払うべきお金が支払わずに手元に残りました。
※支払うお金を用意してたが、カード会社とのやり取りで払わなくてよいことになった。
自分でやると決めたらいろいろと変化が起きました。
エステ業界の重鎮の先生から、
昔、一世風靡された先生をご紹介頂きました。
その重鎮の方から、
貴女は、何も技術が無いのだから、貴女が集客し、施術はその先生にして貰い、
売り上げは、シブロクですれば良いと、アドバイスと、共にすごい先生をご紹介頂きました。
集客と共に同時に技術もその先生から学びました。
本当にすごい先生でした。

交通事故に遭い、後遺症を治療するのに病院に行きました。
良くなりません。
「頭」は病院へ行く、でも、「体」は嫌がってたのです。
そんな時、あるマットと出会います。
高価なマットでしたが、体はどんどん良くなります。
体はそちらを求めてたんですね。
体には知性がある、またそんなことを感じました。
今はその特殊なマットを広めたい。本当にそう思ってます。
体を温め、免疫システムを最大限引き出す。
頭で考えず、体の声に従うこと。
また、言葉というのは人を生かしもするし殺しもするとも思いました。
だから、心を温める、体を温める。
今の事業「温め屋にゅうとらる」は使命感を感じやっています。
今後のビジョンは、家と病院の間の「町の保健室」になれたらと思っています。
小学校の頃に経験した、保健室に行くとほっとする、安心するあの感覚。
おなか痛かったはずなのに、先生に「どないしたん、なんや~」と話してたらいつの間にか治ってる。そして教室に戻る。
そんな町の保健室の存在になれたらと。
そうすることにより、医療費の削減にもなりえます。

最後にこんなことをおっしゃいました。
「自分の体の責任者は、自分」
素晴らしいお話でした。

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レポート:門浦 智