2014年5月 第46回「KKFCやってみよう会」 会合報告

1968年5月22日生まれ。

大阪市此花区に生まれ、父、母、姉、妹二人の6人家族。

父は、大本曳船という会社を経営し、兄弟4人で営んでいました。

職人タイプで、真面目で几帳面、綺麗好きな性格。

仕事の都合上、出張が多く家にほとんどいなかった。

しかし、休日にはハイキングに連れていってくれ、楽しかった思い出があります。

 

母は、父と見合い結婚後、専業主婦をしていましたが。

子供も増えた事も有り仕事を始めました。

生保レディー、外資系ネットワークのディストリビューターなどを経て、日本のネットワークのビジネスで成功し株式会社アースマザー・グリーンを設立。

自己啓発セミナーに参加したり、アロマテラピー、ヒーリングも仕事としていた時期もありました。

私も子供のころは両親が忙しかったので、妹にミルクをつくったり、オムツ交換、保育園に迎えに行った。

 

父が家にいないことが多かったので母子家庭のような生活でした。

小学校高学年になると父と外出する機会は減りました。

小学生のとき勉強はそれほどしなかったが成績は良かったです。

 

しかし中学、高校時代は、まったく勉強しなかったので、成績は下がっていきました。

遊んでばかりで、タバコを吸ったりしたが、本当の不良にはなれませんでした。

仲間とパチンコに行くが、童顔のため店員に追い出されたりもしました。

喧嘩早くて乱暴な友達もいたが、自分は優しい子だったと思います。

受験勉強は殆どせず高校入試の前日も遊んでました。

 

1986年に高校を卒業後、就職するが約半年で退職。この頃

姉の影響で留学に興味を持つようになり渡米。

 

1988年オレゴン州立大学EnglishLaungage Institute(大学併設の英語学校)に入学。レベル分けテストでは6段階中下から2番目のクラスでした。

授業内容には不満で、次第に授業には行かなくなった。その為独自ので英語勉強法に切り換えました、一般の大学生が受ける講義を聴く事によりリスニング、発音のレベルアップをしたり、図書館や古本屋でひたすら本を読んでわからない単語を辞書で引く作業を繰り返しました。

寮に住んでいた外国人の友人と話をするようにし、日本人の友達とはなるべくつるまないようにしていました。

その後、家を借りて友人と一緒に住むようになり英語力は上がっていきました。

Oregon州Salemの2年制大学に進学後、Oregon State Universityへ編入。

留学中は殆ど1人暮らしで自炊、酷い食生活だった為体を壊しました。

1993年3月オレゴン州立大学社会科学部社会学科卒業。

 

帰国後日本の会社に就職。2度の転職を経て40歳を迎えた2007年母の後を継ぎ、株式会社アースマザー・グリーン代表就任。

自分がネットワークビジネスの仕事をするとは思いもしなかったので、最初は戸惑いました。

しかし、母が残してくれた収入の仕組みには本当に感謝しています。

 

エステ業界にもこのビジネスを伝えたかった為後に妻となるエステティシャンであった愉花に商品を飲んで貰った所彼女はとても気に入り会員登録しました。

エステサロンに勤務し1人暮らしていた彼女に一緒に暮らすように誘い、事務所の一室をプライベートサロンとして営むようになりました。

 

木村塾と出逢った妻は熱心に通っていましたが、それには最初私は快く思っていませんでした。

妻は私にも誘ってくれましたが、私は乗り気では無く、最初は仕方なく行きました。それでも妻は根気強く誘い続けてくれました。妻はその時の私に木村塾が必要だと感じていたからだと思います。誘い続けてくれた妻に感謝しています。

 

木村会長から教えは今の自分のビジネスにとっても非常に大切な事ばかりです。「経営者とは儲かる仕組みを創る人のこと」。「本物は続く」。「カタチを変え、変化に対応する」。 木村会長のこれらの言葉は私のビジネスにも更なる確信をもたらしてくれました。

 

世の中には本物は多くありません。 本物を提案出来る今の仕事に誇りを持ち、これからも提案し続けていきます。