2014年7月 第49回「KKFCやってみよう会」 会合報告

今回わが人生を語ってくださったのは、フィットネス業界で大活躍してこられました、株式会社メディカルエイジング代表取締役、堀江かりんさんです。
いつも健康的な笑顔で、周囲の方々に元気を与えてくださるかりんさんが、ご自身の波乱万丈の半生を、余すところなく、大いに語ってくださいました。





【自己紹介】

現在52歳のかりんさんは、ご主人=悟さんと、7歳のトイプードル=きりーちゃんの3人暮らし。
ご主人の悟さんとは今年の3月に入籍され、花を買ってきてくれたり、ゴミ出しはもちろん、お家の整理整頓などをすすんでやってくださる、優しい旦那様とのこと。
夫婦共通の趣味をお持ちで、そのうちの一つが将棋。いつもかりんさんが負けてしまうそうですが、かりんさんもメキメキ腕を上げてきていて、「あと10回やったら自分が負けるかも」とは悟さんの談。
もう一つの共通の趣味は、今年12月に控えた「木村塾やってみよう会 六甲全山縦走」に向けたトレーニング。最近は赤目四十八滝を一緒に歩いてくるなど、文字通り夫婦円満な、充実した生活を送られている。


お仕事は、ピラティス(=姿勢・体幹部分の改善)のパーソナルトレーナー。元々エアロビクスのインストラクターから始めて、健康運動指導に携わり29年がたつ。指導者育成もやっており、指導にあたった人数は、これまでにのべ3000人を超える。企業の中でマネジメントに携わった経験もお持ちで、「仕事に磨かれ、人に磨かれた」社会人生活を送ってこられた。現在は大阪市中央区でピラティススタジオを運営する他、健康器具などの物販も手掛けている。




【おいたち】

昭和37年1月3日生まれ、材木商を営む家庭の長女として、神戸市で産声をあげる。生まれた時の体重が3750グラムの健康優良児。お父様はしつけに厳しい方で、ご両親の愛情をたっぷり受け、のびのび育てられた。




【5歳 初めての成功体験】


かりんさんの可能性を広げてくれたのは、ご両親だった。特にお母様が強くかりんさんを応援され、4歳からオルガンを習い始め、5歳の時に初めてオルガン発表会に出場。この時に「5歳にしながら自己承認できた気がする」と、かりんさんは振り返る。



【幼稚園・小学校時代】


時代は高度経済成長期の真っ只中で、お父様の事業も、かりんさんご自身も順調に成長していった。普段は接待などであまりお家におられないお父様も、週末に時間のある時は、乗用車に乗って百貨店へお買い物など、家庭サービスに抜かりなかった。お母様は、小学校ではPTA会長、子ども会会長を務められ、「学校に行くと子供のことがよくわかる」と、しばしば学校に出向かれ、先生方との対話の時間を多く持たれた。
小学生のかりんさんは、学芸会で主役、学級委員、子ども会リーダーを務めたり、「一日三宮駅長」となって、地元メディアに掲載されたこともあった。習い事は習字・絵画・ピアノ・テニスなど。家庭教師に勉強を教えられ、成績は優秀だった。「何か一つやり始めたら、続ける」というかりんさんの特性は、この頃から身についていた。とにかく幸せな子供時代を満喫された




【中学・高校時代】


中学校入学と同時に、バスケットボール部に入部した。バスケ県大会2位の学校だった。とにかくバスケに明け暮れる毎日で、部活終了後に住吉川沿いを3.7キロのランニングをこなし、のどが渇けば飲むのは牛乳を、毎日1リットル飲んでいた。厳しい練習ではあったが、楽しい部活動を過ごせた。そしてこの時期の運動が、後々フィットネス業界で活躍していくための、身体づくりの基礎となっていった。チームとしての成長・試合での勝利など、チームでやっていくことに対する喜びが増していった。
高校は、バスケ全国ベスト8の学校だった。当時身長160cmだったかりんさん…周囲は174cm前後の、スカウトで入学してきた生徒ばかり。めげずに過酷な練習についていけたのには、「かっこいい先輩へのあこがれ」があったからだと言う。




【16歳 父の会社倒産】


お父様の経営する会社が倒産し、会社の700坪もの土地や自宅など、物質的なものすべてを失った。それまでは「あって当たり前」だったお金が、自由に使えなくなり、出入りしていたたくさんの人たちも、手のひらを返したように寄り付かなくなり、失望感でいっぱいになった。16歳のかりんさんには到底どうすることもできず、ご両親についていくしかなく、ここから二年間半にわたる暗黒時代が始まることとなった。
しかし、「この時倒産していてよかった」と、かりんさんは言う。なぜなら、「あのまま会社経営が続いていたら、毎日のように接待をするお父様も体を壊していただろうし、きっと家族は破滅の道に向かっていたはずだ」と、かりんさんは振り返る。




【再生への道】


この時、お父様の口から発せられた「人間腐ったら負けや!」という言葉は、今でもかりんさんのマインドに根付いている。「絶対に逃げない!」というお父様は、天ぷら屋・港湾関係の食堂経営、また財産放棄などにより、借金は完済、かりんさんは短大へ、妹さんは歯科専門学校へ進学した。




【23歳・エアロの魅力にはまる】


短大を卒業したかりんさんは、OLの仕事をしながら、エアロビクスに出会い、ここからフィットネス業界への道を歩み始める。23歳で本場アメリカにエアロビクス留学、指導者・競技者としての実績を大きく伸ばした。
「こんなに健康的で汗をかけて、楽しくて、お金ももらえて…こんな世界があった」ことに感動し、大手アパレルメーカーのファッションショーに出演、全国巡業、TV、CM、フィットネス通販ビデオ監修や、競技者の振り付けなどで、生計を立てた。
「中途半端ではなく、やるならとことん!」「教わるのなら絶対一流から教わる」のが、かりんさんのモットー。




【26歳・競技者の道へ】


この頃から、かりんさんはストイックなボディメイキング(=ボディビル)に興味を持つ。「上半身よりも下半身の大きい体型の東洋人に対し、本場アメリカの人たちは、かっこいい体型を維持するために何をしているのか」…かりんさんは不思議に思い、その原因を突き詰めて、どんどんのめりこんでいった。
努力が実を結び、エアロビクス・ボディビル・フィットネスの3部門で優勝。「競技は、他人に勝つのではなく、自分に勝つこと」であることを、かりんさんは競技者生活を通じて学んだ。




【33歳・阪神淡路大震災】


1995年1月17日、阪神淡路大震災に罹災、お父様の会社倒産以来、またもやすべてを失った。16歳の時の会社倒産時のような「お金が使えない不憫さ」ではなく、この時のかりんさんは「生きていることの奇跡」を実感する。
「何気ない日常に感謝」「普通が一番」であることを学んだ出来事であった。




【震災の年・日本一】


大阪に拠点を移し、震災があった1995年の9月、JPCミズフィットネスで優勝。翌年9月にも、同じ大会で優勝し、二連覇を果たす。同じ大会で再度優勝を狙ったのは、「1回目の時よりいい状態で出場したかった」のと、「1回目の優勝がラッキーチャンプではなく、実力であることを証明するため」。
この大会の二連覇で「やりきった感」でいっぱいになったかりんさんは、競技生活にピリオドを打ち、自己充電の旅に出る。




【35歳・マネジメントの道へ】


大手フィットネスクラブからヘッドハンティングを受け、西日本エリア統括ディレクターに就任する。それまで一競技者として、「自分のことだけを頑張ってきた自分に、他人の面倒を見ることができるだろうか」と躊躇もしたが、こんなチャンスはそう巡ってくるものではなく、チャレンジ精神で引き受けた。400名の部下を従えて、人材育成・管理・プログラム開発・店舗マネジメントに携わった。とにかく人で磨かれた日々だった。収入も増加し、マンションも購入できた。



【42歳・ピラティスとの出会い】


仕事柄、海外視察に行くことがあり、そこでピラティスと出会い、「人は必ず重力に負けて、骨が曲がっていき、姿勢が悪くなり、普通に歩けなくなる…だったら早く手を打つべき」と思い、このピラティスのメソッドを習得すべく本場ニューヨークに渡るため、大手フィットネスクラブを退社。帰国後、日本一の規模を誇るヨガスタジオのディレクターに就任し、関西に2店舗オープンの立ち上げに携わる。ここでの仕事で、大手フィットネスクラブで過ごした「人で磨かれた日々」が活かされ、「すすんでやったことは、後々自分の人生に役立つ」ということを、身をもって知った。




【43歳・経営者への道】


2006年、ニューヨークから器材を購入し、大阪市北区に「ピラティススタジオ」を設立。フィットネスクラブのお客様ではなく、完全に一般の方々がお客様となり、様々な考えを持つクライアントを相手に、効果を引き出すためには、スキルだけでは不十分であることを知り、コーチングを学ぶ。ヨガ・ピラティスの指導者養成コースの開講、関西を中心に、医師が監修した運動療法講座を展開する。海外では、アップル社でセミナーを開催する。お客様によって自分が磨かれ、出会った方々の協力によって、自分の夢や目標が達成できることを体感する。




【49歳・最後の親孝行】


仕事も順調に運び、バリバリこなしたかりんさん。元々しつけに厳しかったお父様は、「人様から見えないところを特にキレイにしておくべきだ」と、1ヶ月に1回スタジオに来ては、掃除をしてくださった。そんなお父様が脳卒中で倒れられ、「助かっても植物人間」と医者から言われる。仕事が忙しい中、病院に駆け付けたかりんさんが、大きな声でお父様に声をかけると、お父様の目がパッと開き、そこから奇跡的に、歩いて外出できるようにまで回復された。7ヶ月がたち、肺炎を併発され、かりんさんの腕の中で、お父様は静かに息を引き取られる。「今までの人生の中で一番つらかった出来事で、毎日泣きながら走っていた」と、かりんさんは当時を振り返る。




【52歳・現在】


2014年1月、木村会長と出会う。「日本に住んでいるだけで、こんなにラッキーなことはない」という会長の言葉に惹かれ、初めて大阪木村塾に参加。「人生は、人との出会いで決まる」と、かりんさんは実感する。
今までは「(競技に)勝たなきゃいけない」「(仕事で)成果を出さなきゃいけない」という考え方の人生であったが、「日々の何気ないことにも感謝の気持ちを忘れずに、自分の物事の捉え方を変えると、すべてが好転してくるものだ」ということを、いま実感している。




【未来の自分】


・感謝を与える自分になる
・物心両面豊かに生きる
・健康管理、家庭円満、経済、時間の使い方、友人とのお付き合い、趣味、学び…すべてにおいてバランスのとれた人生を送る
・58歳で自己資産1億円、68歳で10億円運用、78歳で100億円寄付を、夫婦で達成する
・身体・心の健康をテーマにした講演活動および書籍出版
・女性のニーズ(=継続性・経済性・仲間意識)を満たす製品や、プログラムの提供



当日は、立ち見の方がでるくらいの、たくさんの方々に聴講に来ていただきました。
かりんさん、貴重なお話を、ありがとうございました。


☆当日「やってみよう会」での木村会長語録☆



・先に方法を考えて目標を決めるな。目標を先に決めよ。方法はあとから考えればよい。 

・ビジョンを持っている人は、みな若い。松下幸之助さんは、この世を去る直前までビジョンを描いていた。

・若いか否かは、年齢で決まるものではない。やることがない人は、それだけで年寄りだ。

・大きな山(=目標)を決めると、必ず大きな壁が現れる。その壁があなたの器を大きくしてくれる。

・あなたに乗り越えられる壁しか現れない。あなたの壁を見たら、あなたの器がわかる。 

・自分を甘やかしたらアカン!自分にチャンスを与えるような生き方をせなアカン!

・人様に迷惑かけてもええやないか!迷惑かけたら10倍返ししたらええ!


レポート:岩瀬 理一

 

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