2014年4月 第45回「KKFCやってみよう会」 会合報告

 

 木村塾の年末恒例行事「六甲全山縦走」(56㌔)。その登山部長を昨年まで2期務めた阪田晋一さん(40)。登山初心者も多いこの大会を、熱いリーダーシップと細やかな気遣いで無事成功に導きました。今日は登山仲間など多くの阪田ファンに見守られての「我が人生を語る」。幼少期、就職、結婚、そして様々な試練。現在の想いと将来のビジョンを、飾らない言葉で語り尽くします!

 

【幼少~少年期】

「ヨロブン アンニョンハセヨ。チョヌン 阪田晋一 イムニダ。オヌルン チャルプタッカムニダ!」(みなさんこんにちは。私は阪田晋一です。今日はよろしくお願いします)

いきなり韓国語で切り出した阪田さん。実は最近、韓国語の初級クラスに通っています。何歳になっても新しい出発ができることを、スピーチ冒頭から身をもって示しました。

阪田さんは1974年3月22日、兵庫県尼崎市に生まれます。2850キログラムの元気な男の子でした。

5歳の時、最初の試練が訪れました。両親が離婚し、母方に引き取られます。お母さんは看護士となって家計を支え、女手一つで阪田さんと弟さんの2人兄弟を育てました。その苦労は並大抵のものでなく、多忙な仕事と子育てからお母さんは一時期キッチンドランカー(台所での飲酒癖)に。勝気なご性格でもあり、親子ゲンカのときに包丁が飛んできたことも。そのころ、あるおばさんがそんな母を諭してくれました。親戚でもなんでもない母の友人でしたが、阪田一家に対して本当に親身になってくれた方でした。

阪田少年は小学校から野球を始め、中学になると本格的に打ち込みます。先輩のシゴキは当たり前。「ケツバット」の時代です。家に帰って裸になると、お尻が赤く腫れています。それでも体育会系出身の母親は「シゴキなんか当たり前や。がんばれ」と・・・。

中学の3年間は野球に明け暮れました。勉強はしなかったものの、県立の工業高校になんとか合格。苦しい家計を考えると、学費の安いことが嬉しかった。

高校でも野球一筋。ここでも猛練習、そしてシゴキの毎日です。ある日、ランニング中に「プチッ」という音が。大腿四頭筋の部分断裂でした。それでも上半身の筋トレを続けるなど、野球に賭けた高校生活でした。

そして3年生でレギュラーに。忘れもしない最後の夏の県大会。7月21日。高砂球場でした。7番ライト。自身の成績は3打数2安打(うち2ベース1本)。しかしチームは逆転負け。高校最後の夏が終わりを告げました。

 

【就職】

高校を卒業した阪田さんは東証一部上場の工作機械メーカー、大阪機工株式会社(本社・伊丹市)に就職します。世はバブル崩壊後で不景気な時代でした。就職してすぐに出向となり、岡山県倉敷市水島にある三菱自動車に。担当したのは「キツイ、慣れない、しんどい」ライン作業でした。来る日も来る日も同じ作業の繰り返し。立派な体格だった阪田さんも激やせするほどでした。

思わず尼崎の母親に泣き言をこぼします。すると「自分のことは自分で決めたらええ」。二の句を継げませんでした。

ラインの仕事はきつかったものの、先輩や同僚と仲良くなり酒も覚えました。仕事の辛さを癒してくれる愉快な仲間たち。そんな大切な仲間との別れが2年半後に訪れます。本社に帰る阪田さんを送り出してくれた送別会。人と別れることの辛さを初めて経験し、男泣きしました。

岡山から尼崎に帰った直後の1995年1月17日。阪神大震災が実家を襲います。被災して体育館での暮らし。多くの人の生死を身近に感じる日々でした。本社に戻ると、震災で打撃を受けた工場を整備し、機械を立ち上げ、復旧に打ち込みました。

その頃、会社で素晴らしい仲間や先輩方に出会います。草野球、ソフトボール、スキー。仲間とスポーツに精を出す日々でした。そのころからマラソンにも挑戦。コツコツと練習に打ち込み、その後16年掛けて4時間切りを果たすほどになりました。次の目標はタイムよりもむしろ「笑顔でゴール」と思っています。

 

【結婚、父との再会】

25歳の時(1999年)、のちに奥様となる早織さんと出会います。2年の交際を経て結婚を約束しました。そんな2001年3月のこと。かつて5歳の時に別れた父に会うことを決意します。結婚を報告したかった。

しかし思いは複雑です。育ててくれた母親の苦労を、幼少の頃から間近に見過ぎていました。

「会ったら、どついたる!」

そんな気持ちでした。

22年ぶりに再会した父。恨みもした父。しかし、自分と弟がそれぞれ二十歳になるまでの15年間余り、養育費を払い続けてくれていたのも父。向こうにも新しい家族がいるし、世の中はきちんと養育費を払う人ばかりではない。そんな事実も一方で脳裏をかすめます。

お父さんは阪田さんを飲みに誘いました。「それが夢だった」とのこと。阪田さんの高校野球の試合の時も、球場の片隅から見守ってくれていたと聞きました。阪田さんの心は乱れます・・・。

「なんで離婚してん!」

幼少よりずっと聞きたかったことでした。でも実際に会ってみると、言葉が出てきません。

「許せる、許されへん、そういう次元やない。離婚した理由なんか、どうでもええ」

そんな風に思えました。でも、心の中は大泣きでした。

 

【辛い試練】

その年の5月が結婚式でした。ところが式も近づいたある日、早織さんのお父さんが脳梗塞で倒れます。新婚旅行も披露宴もキャンセルし、5月27日に式だけはなんとか挙げました。そしてその日の夜、明けて28日。日付が変わるころに容態が急変し、帰らぬ人に。享年52。早すぎる死でした。

結婚して3年目に奥様が懐妊しました。ところが流産。こんな辛いことはありません。誰にも言えない苦しい日々でした。その後2人目の子供を妊娠したものの、また流産・・・。

「神様はおるんか!俺らが何してん!試練ばっかり与えやがって」

涙が枯れるまで泣きました。試練と思うしかありませんでした。

 

【木村会長、そして六甲縦走との出会い】

2006年、木村会長に出会います。ルーミンリフォームの松岡さんの紹介でした。「素晴らしい人がおる、いっぺん話を聞いてみ」と。「ホンマか?」と半信半疑でしたが、誘われるままに会長の講演会に参加しました。難しい経営の話は分からなかったものの、木村会長が巨額の負債を背負い、そして立ち直った体験談が腹に響きました。

「言い訳するな」

「目標を公言せえ、数字入りや」

「やってみなわからん、やったことしか残らん」

 そしてUBI株式会社の竹内社長を紹介されます。カッコいい兄貴のようでした。そこでUBI社恒例の六甲全山縦走の話を聞かされます。須磨浦公園から宝塚までの56キロを一日で走破するというもの。

「阪田君やったら10時間切りできる」と竹内社長。すぐに、その気になりました。

挑戦1年目、六甲の道に迷いながらの練習を始めた頃のことでした。お母さんに大腸ガンが見つかります。手術はしたものの、医者の宣告は余命1年。とても本人には告げられません。腸ねん転、人工肛門、胃瘻(いろう)。苦しい闘病の日々でした。しかし、術後1年4カ月後の2013年2月5日、他界されました。

5歳の時から女手一つで育ててくれたお母さん。辛かった時に泣き言を言っても「自分で決め!」と突き放されたお母さん。葬儀の時に遺影に向かって初めて「ありがとう」が言えました。

「オカン。育ててくれてありがとう」。

お寺さんの言葉が胸にしみました。

「お母様は天ではなく心に入って行かれた。これからも見守ってくれています」。

 

【登山部長としての使命】

最愛の母との別れ。さまざまな苦しみ。それらをすべて受け止めてくれたのが六甲山でした。

「何もかも忘れることができる」

六甲登山に打ち込み、そして挑戦1年目で10時間切りを達成。翌年、竹内社長の後を継いで木村塾の第2代登山部長に就きます。

木村塾で六甲全山に挑戦する人たちは様々でした。登山初心者の人たち、(膝の)痛み止めの薬を飲みながら登り続ける人たち、陽が暮れてもヘッドライトを灯してゴールを目指す人も。そんな参加者たちがサポート隊の助けを受けて完走していきます。

登山部長となって2年目の昨年は、秋の自主練習が雨で流れ続けました。初心者も多いこの大会では、事前練習が欠かせません。少しでも山に慣れ、道を知り、足腰を鍛えねばなりません。焦りが募りました。

そして迎えた本番当日。木村会長の熱意にほだされた初参加者も多くいました。須磨から出発して宝塚を目指す六甲縦走は過酷な行程です。中間地点で、すでに足を引きずる人たち。足の痛みに顔をゆがめる参加者。それでも歯を食いしばってゴールを目指します。

阪田さんは何度も悩みます。登山部長の立場としては「全員の安全」が使命。無理して続行させて怪我をしたり、遭難させては絶対にならない。何度もリタイア宣告しようと思います。しかし、薬(痛み止め)を何錠も飲みながらゴールを目指す仲間たち。その懸命な姿を見ていると、止めることは出来ませんでした。そして、ついに全員が無事にゴール。宝塚での勝利の美酒の味が忘れられません。感無量でした。

六甲では親身になって人を支え続けた阪田さんでしたが、実は自分自身の体はぼろぼろでした。昨年7月から不眠が続き、9月からさらに悪化。ついに会社を休業しました。医者の診断はパニック障害というもの。睡眠外来にも診てもらいました。不眠症でした。鍼灸で回復しつつあるものの、まだ完全ではありません。

会社を休み、収入面も苦しい。それを支えてくれているが妻の早織さんです。

「どうにかなるよ」

その言葉がどれほど自身を支えてくれているか。感謝としか、言えません。

 

木村塾やってみよう会の「我が人生を語る」は、人生の棚卸をする絶好の機会です。大勢の前で自らの半生を語るなどということは、これまでの阪田さんにとっては、ありえないことでした。しかし、不眠症で会社を休む自分を鼓舞するため、自ら今月の報告を買って出ました。そのこと自体が、いまの逆境から立ち上がる阪田さんの行動言語でした。

 

過去の苦しかった経験。そして助けてくれ、支えてくれた周りの人たちへの感謝にあふれた報告でした。ラストは奥様の早織さんへの渾身のメッセージで締めくくりました。

「早織、愛している!」

会場が、しびれました。

 

【会場の感想から】

・  試練の人生のなかで、支えてくれる人が次々に出てきている。それは阪田さんに「引き寄せるもの」があるから。

・  さまざまな経験の受け止め方が素直で実直。

・  素直でなかったら、(別れた)お父さんに会いになど、とても行けない。

・  つらい経験をしたが、人を傷つける方向にではなく、それを優しさに変えた。

・  今日の会場の盛況ぶり。この大人気。阪田さんの人柄によるもの。

・  お母様の「自分のことは自分で決め」が阪田さんを鍛えたと思う。

・  初めは「話慣れていない人かな」と思った。しかし終わってみると心を動かされていた。逆にスピーチの天才じゃないかと思う。不器用かもしれないが、心で話してくれた。

・  普通は話したくないことも包み隠さず話された。本当に凄い。人の縁を活かしておられる。

・  私も成人した息子がいるが、息子と飲む酒は嬉しいもの。また誘ってあげて下さい。

・  六甲に昨日初めてご一緒させていただいた。「初めての六甲」と言うと、本当にいろいろ気遣ってもらいました。阪田さんは本当に優しい人でした。報告されるというので、今日は会社を休んで聞きに来ました。

・  「上手に話そう」というのではなく「一生懸命に伝えよう」という話し方でした。満点です。お母様、お父様、奥様・・・。素晴らしい方々に囲まれ、本当にいい人生を送っておられます。

・  「童心」。子供のような素直な心に感動しました。お母様の「自分で決めや」の一言。私は子供に対してそのように言えなかったことを反省します。

・  誰かに感謝している話が本当に多い。

・  六甲に挑戦し続けています。「気力のある人にはどこまでも応援するで」と、阪田さんはずっと個人練習に付き合ってくれ、それが本当に嬉しい。私は阪田さんのために六甲をやる、という気持ちです。今日これだけの人が集まるのは阪田さんの誠意が通じたということ。ビジネスをやられたら絶対に成功するはず。

・  物事の捉え方が前向きで強い。素直、ヒネていない。

・  山でご一緒しても、いつも人を気遣っておられる。その阪田さんの優しさ、人に対する姿勢。それが私の目標です。

・  阪田さんは山の師匠、そしてマラソンの師匠です。

・  熱い、あったかい、思いやりのある人、と思いました。つらい経験を何度もしているからこそ人に優しくできるのですね。

・  いつも「やってみよう会」報告は、主催者側からの依頼がほとんど。しかし今回は阪田さん自らの志願。それがすごい。この「我が人生を語る」は、発表者のその後の人生を大きく飛躍させる場。今は会社を休んでおられるけれど、これからの飛躍に絶対になるはず。今日は大勢の人に聴いてもらえて本当に嬉しい。

 

会場いっぱいの仲間からの感想を聞いて、奥様の早織さんが一言ごあいさつ。

「このような機会を与えてもらえて、本当に感謝します」。

 会場後方の木村会長が「10年後、20年後のビジョンを!」とリクエスト。

 「10年後は家内と一緒に富士山へ。20年後はホノルルマラソン。家内と笑顔でゴールします。常に前向きに」、と阪田さん。

これまでの人生を二人三脚で歩み続けてこられた奥様への愛情と感謝で、感動の50分を締めくくりました。

 

【木村会長の言葉】

・  わしは50歳の時に初めて自分の半生の話をした。すると皆食い入って聞いてくれた。わしが、びっくりした。

・  みなさん一人一人の人生の中に宝がある。自分の人生のドラマを作っている。自分が主役。脇役もいる。ドラマや。

・  10年後、20年後のビジョンを持て。どう、なりたいんか。

・  ビジョン。それが人生を変える。人生が変わる。

・  六甲全山縦走56キロを1日で。それは大変な逆境や。

・  でも六甲に登ったら調子が治る。

・  バブル崩壊後に負債を背負ったとき、六甲を登ったら不思議と力が湧いて出てきた。わしは頭は良くない。足の裏に脳みそがついてる。歩きながら考えるんや。

・  仲間と登るのもよし。でも一人で登ってみるのもええ。それは自分自身との対話や。

・  悩みや問題を持って登ってみる。すると不思議とアイデアが出てくる。天からの啓示が下りてくるんや。だから手帳を持って登れ。それをメモせえ!

・  自分の人生を酒の肴にするな。こういう場(やってみよう会)で棚卸して語れ。皆、素晴らしい人生を持っている!

 

(まとめ 坂元正三)

 

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